幸せに暮らしたい日記

未経験を一つでも減らしてから死にたいのに、小心者すぎてスマホという窓を通してしか世界を見ることのできない日々をそろそろやめたい人の心の叫びとメモ

 

ここの喫茶店は、いつも人が少ない。

フロアの隅には大きなスピーカーがあって、そこからは胃の底が波立ち響くようなベース音を利かせたジャズが流れる。クニコさんは、そのスピーカーの側に座るのをひどく嫌がり、いつも対角線の一番遠い席に座る。

 

そんなクニコさんはさっきから、取っ手に人差し指をかけたコーヒーカップを、ソーサーの上でゆっくりと回している。時折、陶器のカップのざらりとした底とソーサーとが擦れ合って、ずり、と嫌な音がするが、クニコさんは、そこはお構いなしなのである。

 

マスターはわたしたちの席をわざとらしく通りすぎる。通り過ぎるたびに、マスターはクニコさんばかりを見つめ、わたしのことなどまるで見えていないといった風である。そしてそのクニコさんへと迷いなくまっすぐに向けられた視線は、やや熱を帯びているようにわたしには感じられる。

 

わたしは、カップの取っ手にそっと掛けられたクニコさんの人差し指を見つめる。

クニコさんの人差し指は、密やかである。先に向かって無抵抗に柔らかく伸び、爪の先端は楕円に整っている。それは、カップをおかまいなしにくるくる回して遊ぶような仕草とはおよそ似つかわしくなく、さらに言えば、クニコさん自体ともあまり調和していないほどである。

 

クニコさんがふいに指を止め、カップを口元へと運び、傾けた。

クニコさんの唇は、普通より少しぽってりしているくらいである。もともと血色がよいのか、口紅は刺していないことを、カップの淵が教える。林檎の肌のように、しっとり、しん、と膨らんでいる。コーヒーで湿った唇を紙ナプキンで抑えるその指を、わたしは眺める。

 

10年前の師走も終りの頃、目覚めると、そこには見知らぬ天井があった。

恐る恐る左を振り向くと、畳の上で、長くも短くもない髪を生やした頭がふわりと横たわっていた。わたしはぎょっとしたが、髪に埋もれた頭の向こう側から聞こえてくるすやすやとした呼吸音が、わたしの直感に、危険でないと働きかけていた。

落ち着いて、よく観察すると、畳にさらさらと投げ出されたその髪は、絹と言うよりももう少し綿のような質感に見えた。その頭の持ち主は、こちらに背中を向け、何も敷物のない畳の上で、胎児のような、三角座りが、ころん、と転がってしまったような形で丸く眠っていた。

 

一方のわたしは、布団に寝かされ、ご丁寧に毛布と綿布団まで掛けられている。年の瀬まであと六日というところなのである。わたしは慌てて起き上がり、自分に載っていた布団をその人に掛けようとした。

 

そのとき、ころんと眠っていたその人が、大の文字を描くように四肢を伸ばした。わたしは掛け布団を手に持ったまま、おろおろとした。そしてその人は、なかなか開かないのよ、といった風で目をしばたたかせ、「いま、なんじ?」と言った。「わかりません」と答えると、「あー」とやや大きめの声をあげて、彼女はやっと目を開いた。タイトスカートが上にずれて、内腿が顕わになっている。

 

「あの、ここはなんでしょうか、どうしてわたしは」

 

布団を持ったまま、訊ねた。

 

「拾ってきたのよ」

 

身を起こした彼女がいたずら小僧のような目でこちらを見上げ、布団をよこしなさいとばかりに手を伸ばしている。あわてて布団を渡そうと近づくと、彼女は思いきり布団を引っ張り、私は「ぎゃっ」といって彼女の上に倒れ込んだ。さっき隣で眺めていた綿の様な髪がわたしの鼻に触っていた。彼女は、げらげらと笑いだした。それが、クニコさんである。

 

クニコさんによると、あの夜、わたしは立ち飲み屋で正体を失くしていたらしく、同じ店に居合わせたクニコさんにひたすら、「男なんて」と繰り返していたのだそうだ。

 

「小学生のとき、道のど真ん中に蛙がいたのよ。車がきたら轢かれちゃうな、助けようかしら、なんて思っているうちに、車が来たの。思わずつぶってしまった目を開けてみたら、蛙、ぺちゃんこだったの。なんだか、あの日のあなたを見て、それを思い出してね」

 

どうやらその蛙のおかげで、わたしはクニコさんに拾われたらしい。クニコさんが珍しく神妙な面持ちで語ったので、「雪の日の子猫の話だったらもっとよかった」とは言えなかった。

 

クニコさんに拾われてから、わたしたちはなぜか一緒に暮らすようになった。わたしが自宅に戻ろうかしらと告げるたびに、クニコさんが困った顔をするせいである。

クニコさんの困った顔をなんとなく見たくなくて、わたしは仕事帰りに自分の部屋へ戻り、荷物を少しずつ、クニコさんの部屋へと運んだ。荷物と言っても、肌着や衣類、化粧品くらいのものである。洗面台にはそれぞれ違うブランドの化粧水や乳液、洗顔料がならんだ。

 

「あんたそれ使ってるの、カイメンカッセイザイってよくないのよ、やめなさいよ」

「クニコさんだってその化粧品、ボウフザイが入っているじゃない。よくないわよ」

 

そんなことをいいながら、互いが互いの見ないところで、こっそり互いの化粧品を使っていることを、ちゃんと知っていた。なぜなら、この部屋には布団が一揃いしかなく、二人で一緒に眠るからである。わたしは少々窮屈に感じていたが、クニコさんはなんだか楽しんでいるようで、わたしの人さし指に自らの人さし指をからめてそのまま眠ってしまう。そしてクニコさんの頬からは一週間に一回ほどの頻度で、わたしの化粧品の香りがするのである。

 

「クニコさん、ばれてるよ」

 

わたしは一応文句を言っておくのだが、クニコさんは、どんなときだってすやすやと眠っているのだ。わたしは仕方なく、クニコさんの人さし指に絡める力を強くしたり弱くしたり、それを親指で撫でてみたりする。意外なほど華奢なそれに触れていると、起きているときのクニコさんははりぼてで、いまここで眠っているクニコさんこそが本当のクニコさんなのだろうか、と思考をめぐらせ、いつの間にか眠りに落ちてしまうのだった。

 

「ねえ、ちょっと、うなじの毛、剃ってくれない?」

 

ある日クニコさんはそういって、わたしに剃刀をもってきた。クニコさんは髪をまとめ、うなじを向けて座った。

 

「痛くしないでよね」

 

「じっとしてくれなきゃわからないわ」

 

クニコさんの首筋に刃を当て、そっと撫でると、細くて柔らかな毛が、さらさらとこぼれた。

 

「クニコさん、どうして剃るの?」

 

「理由なんてないわ。剃りたいのよ」

 

「男?」

 

クニコさんは黙っている。

黙ったクニコさんの首に、わたしは刃を当てる。

 

「へえ、クニコさん、男いるんだ」

 

クニコさんは、やっぱり黙ったままである。

黙々と刃を滑らせ、わたしは、いいわよ、と声をかけた。

ありがとう、と短く言って、そのまま洗面台へと消えていったかと思うと、わあすごい、綺麗になってる、とクニコさんが子どもの様な頓狂な声を出すのが聞こえた。

わたしは剃刀をもったまま、畳に座ってその声を聞いていた。

 

夜になっても、クニコさんはどこへも行かなかった。部屋着のまま寝転んで、水木しげるを読んでいる。

 

クニコさん。男。クニコさん。男。

 

わたしの頭の中はその二言で充満していた。わたしは先に布団へと入り、寝たふりをした。私が起きているから、クニコさんが男のところに行けないのかもしれない、そう算段したのだ。だけれど、一方で、わたしが黙って布団に入ったことを心配してクニコさんが水木しげるをやめ、隣に入ってくるかもしれない、とも思った。

 

クニコさんが、ぱたり、と、水木しげるを閉じる音がした。わたしの鼓動は早まった。なぜ早まっているのだろう、と思ったけれど、自分の耳まで聞こえるほど、とくんとくんと鼓動は早まった。クニコさんの足音が、こちらへ近づいてくる。そしてわたしの前で止まり、クニコさんがしゃがんでわたしの顔を覗き込むのが分かった。必死で目をつむるわたしの頭をクニコさんはそっと撫でた。

 

そして、クニコさんは立ち上がり、脱衣所へと歩き去った。

わたしの身体は、どうかしているほど硬直し、熱をもっていた。目を開いてみても、目の前は暗いままだった。

玄関の鍵が、がちゃりと閉まる音がして、部屋の空気が止まった。暗闇で呆然と目を開けて、布団の中で丸くなった。りりり、と鈴虫が鳴いていた。

 

クニコさんの白いうなじに、男が口を寄せている。クニコさんは夢見心地でやわらかく瞼を閉じ、男の名を呼んだ。男の顔も名も、わたしのよく知ったあいつのものだった。背後から忍び寄り、男の首に剃刀を立てた所で、わたしは目覚めた。

 

起き上がると、クニコさんは、台所で湯を沸かしていた。わたしに気が付くと、おはよう、コーヒー?と尋ねた。

わたしは、うん、と答え、ちゃぶ台へ移動した。クニコさんが、とぽとぽと淹れてくれたコーヒーを飲む。いつもどおり、酸味のない、濃い目である。

 

「クニコさん」

 

呼ぶと、クニコさんがわたしをみつめた。

 

「わたし、戻るね」

 

クニコさんは、相変わらず、困った顔をした。だけれどわたしには、それが安堵を含んでいるようにも見えた。

 

コーヒーを飲み終え、わたしはクニコさんの部屋を出た。部屋を出るとき、クニコさんは両手で、わたしの頬を挟み、ひとしきり見つめた。クニコさんの指は細く、軟らかく、するりとしていて、ぬくかった。

 

「気をつけるのよ」

 

頬をはさんだまま、クニコさんが言う。わたしの唇がひよこのようになるほど、手には力がこもっている。

 

「返事は?」

 

「はい」

 

もごもごと返すと、ようやくクニコさんは手を離し、じゃあね、と言った。

 

2駅先にあるわたしの部屋まで、歩いて帰ることにした。約9カ月分の荷物をまとめて出てきたから、少し重たかったけれど、電車に乗ってすぐに家へついてしまうというのは、なんだか気分ではなかったし、少し怖かった。家へ歩いて帰るという時間と道のりが、クニコさんの部屋と現実との間を埋めてくれるような気がした。

 

畑の淵を、とぼとぼと歩いた。久しぶりに歩くなあ、こんな道だったっけ、と思いながら、時折、荷物を持つ手を右へ左へと変える。真っ青な空を、雁が列をなして通り過ぎてゆく。

 

ふと、遠くにやっていた視線を近くに戻し道路へと目をやると、何かがいる。近寄ってみると、それは蛙だった。道路の真ん中で、どうしてか、うずくまっている蛙だった。

 

クニコさんの神妙な顔が浮かぶ。わたしは荷物をその場におろし、蛙の元へ踏み出した。道路へ出た瞬間、車のクラクションが聞こえ、わたしの身体は高く飛び、道路へたたきつけられた。わたしは、この世に帰ってきてはいけない人となったらしい。

 

クニコさんのカップには、あと少し、コーヒーが残っている。クニコさんはまた、カップをソーサーの上で回し、時折、嫌な音をさせている。

 

クニコさん。

 

クニコさんは、あいもかわらず、カップを見やっている。

 

クニコさん、わたし、死んだのよ。

ねえ、クニコさん。

 

ねえ、あの夜、どこにいったの?

ねえ、やっぱり男だったの?

ねえ、わたしが出て行くとき、どうして止めなかったの?

ねえ、どうしてわたしを拾ったの?

 

ねえ、わたしクニコさんのこと、好きだったかもしれない。

 

「マスター、お勘定おねがい」

 

クニコさんが、最後の一口を飲んで、席を立つ。

わたしもすーっと、後に続いた。

恋をした時の身体的反応に嘘をついて得られる幸せ

人を好きになった時、

自分がどんな気持ちになるのか

身体がどんな反応をするのか

 

わたしはもう知ってしまっている

 

胸の奥がさざめいて

引っ張られて

胃がどんどん狭くなっていき

頭のどこかがふつふつと熱を持って

目はらんらんとして

口元は時に緩みはっとして一文字に結び直すことを繰り返し

何も面白くないのに止まらなくなる笑い

寒くもないのになぜか震える指先

傍に寄りたくなる衝動

 

そういったものをもう全部知ってしまっている

 

 

意識的に意図的に

その反応に持ち込みたくても

持ち込めないことを

 

わたしは腹が立つくらい知っている

 

知らなければ

と、思う。

 

好きという感情を伴った時の

自らの身体的反応を知らなければと

 

思おうとしても

身体が付いて来ないのは

どうしようもない

 

身体が付いて来ないことが

一番苦しい

 

身体に反したことをしていることは

自分を裏切っているような気がして

嘘をついているような気がして

そしてそれは同時に相手にも嘘をつくことであり

 

何もかもが嫌になってくる

 

 

 

幸せというのは

そのすべてを諦めながら

つかんでいくものなのでしょうか

 

それを幸せと呼んでいいのでしょうか

 

 

メンヘラ欠陥住宅


満月が暗闇に帰り、

またそのふくよかな円さと

冷たい輝きを取り戻すまでの間に

 

新しい生命を育めなかった血液は

 

わたしの躰から追い出されていく

 

 

その寂しさなのか

 

断末魔の叫びなのか

 

わたしはその頃、かならず

 

消えてしまいたくなる衝動に駆られる

 

 


そう思うことは

 

だれかにこのどうしようもない存在を

 

受け入れられたいからなのだろうか

 

 

そう叫ぶことで

 

私は誰かにこの存在を

 

思い出してほしいのだろうか

 

埋まることのないなにかを

 

埋めようとしているのだろうか

 


そんな風におもっては

 

恥ずかしさに打ちひしがれ

 

突然を装って殺してほしいとさえ願う

 

 


だがそれは違うのではないかと

 

最近思うのだ

 

 


意味の分からないくらいの

 

圧倒的な愛情を

赤の他人から注がれるという

 

未経験の出来事を全く受け止めきれずに

 

右往左往する日々の中で

 


だれかに受け入れられたい

という気持ちは

 

そこまで強くないのではという

 

新たな見解が芽を吹いている

 


こんな欠陥住宅

 

住みたいと思ってもらえるなら

 

それはそれは有り難いことだと

 

意外とうまくいくんじゃないかと 

 

リフォームでもリノベーションでも

 

なんでもしてくれよと

 

 

なんとはなしに

 

一時的に扉を開けてみたのだけど


とんでもない間違いだったらしい

 

 

長きにわたる一人暮らしと

 

きちんとした恋人という存在を

 

持たなかった長い時間のせいで


私の心はいつのまにか

 

要塞と化していたようで


壁を塗り替えようとでもされれば

 

全身の力をもってして

 

それを阻止するようになっていた

 

 


欠陥住宅の借主は

 

そんな様子を目の当たりにし

 

「不思議だ」

 

とか

 

「そこがいいんだ」

 

とか

 

訳の分からぬ美辞麗句をもって

 

退去はしない様子で

 

そのくせ

 

この部屋には暖かさがなくて寂しい

 

だとか

 

つらくて生きていけないとか

 

泣き言を言う

 

 


この住人を見ていると

 

私を見ているようでつらい

 


だれかに恋をしているときの

 

私の汚さを全部集めたような

 

嫌悪感を覚える

 

 

思いの丈を黙っていることは

 

どうしてこうも人を苦しめるのだろうか

 

 

思うにそれは

 

その想いが

 

内側から躰を融かしていきそうなほどの

 

とてつもない熱量を持っているからで

 

 

 

もし自分の思いを外に吐き出せば

 

その熱量は伴われたまま

 

誰かの心を苦しめるのである

 

 

 

黙っているということは

 

苦行である

 

 

 

伝えて叩き潰される苦しみも

 

伝えない苦しみも

 

同じくらいじゃないだろうか

 

 

だからこそ

 

黙っていて欲しいのだ

 

 

黙るという努力を見せて欲しいのだ

 

 

メンヘラというのは

 

その苦しみを相手に預けて

 

どうにかしろと無言の圧力をかける

 

そういう汚いやつなのだ

 

 

そしてそれはわたしなのだ

 

 

同類を見て

 

初めてその醜さを知る

 

 

 

 

 

難しくない

 

 

生きるということはきっとそんなに難しくないんじゃないかなんて会社を休んでイオンで買ってきた寿司を頬張りながら思った。

 

だってこんだけたくさんの人がこれまで生まれて生きて死んでってしてきてるんだから、わたしにできないわけないんだもの。

 

色々考えなかったらね、

 

無になれば、無にすれば、わたしなんてなくせば、自分なんて追いかけなければ、もっともっと人のことを思えば

 

囚われからは離脱できるはずで

 

 

意味のないことをしたくないのが人間なのではないでしょうか

 

だけどそんなこといってたら生活の大半の事には意味がないのです

 

だってどうせいつか死ぬんですから

 

後世に残るようなこと成し遂げたって、人類もいつか滅亡して、地球さえも滅亡して、永遠の暗闇に塵と消えるんですから

 

わたしは何も成し遂げないし、この世に何も残さない

 

ただ、食べて飲んで消費して排出して、毎日毎日少しずつ老いることが仕事ですから

 

楽しいだとか、楽しくないだとか、意味があるだとかないだとかそんな高尚なことを言っている必要はないんですね

 

瞬間的に気持ちよく、それでいいんですよ

 

イオンの498円の寿司は美味しくなかったけどね。

 

 

わたしの復縁した恋人はわたしに好きな人がいることを飲み込んでくれると言って

 

以前よりもずっとドライに接してくれる

 

それがとてもありがたく居心地よく気持ちが良くて

 

わたしの餌は寂しさなんだなと。

 

満腹だと何もいらなくなるのは食欲だけではなく愛情もそう

飢えさせてもらわないとダメなのです

 

 

復縁する際に、好きと言わないでくれ言わせてくれと言ったら、本当に好きと一言も言わなくなってしまった彼に、やっぱり私は好きとは言えなくて

 

 

毎晩毎晩あの人の名前を呼び

夢に見て

起きて名前を呼び

空を眺めては思い

 

 

某大学の自動車部のところに、彼と伏見稲荷神社までデートした車を置いてきたと彼が言うので探しに行ったけれど、そんな気配全くなくて、だけど、彼はこの辺で生活していたんだなと、いろんなお好み焼き屋さんや定食屋さんを眺めながら彼がそのカウンターの丸椅子に座る姿を妄想してにやけたりなどしながら散歩した次第でした

 

どなたか、おじいちゃんみたいに古めかしいハッチバックの青のプジョーを見つけたらご一報ください

 

 

この前彼と会った時、わたしの下腹部の傷を彼が執拗に撫でるのでやめてと言ったら嬉しそうに笑ったあとおへそに指を突っ込もうとしてきたのだけど、そういう悪戯な感じが大好きで、

 

寝返りを打って背中を向けた彼の腰に恐る恐る手を回したらわたしが手を回しやすいように自分の腕をそっとどかしてくれたりしたことがどうしようもなく愛おしかったな

 

二人で歯磨きをしながら向かいの部屋のおじさんがパンツを脱ぐか脱がないかを二人で観察しているとき、おじさんに見られるかもしれないよ?恥ずかしい?と彼が聞きながら私の胸元に手を滑り込ませて、ホテルの部屋着をするりと剥がして上半身を露わにさせた時はなんの破廉恥小説だろうと思ったけれどあの時の彼はいつにもまして情熱的で色っぽかった

 

世界が思い通りになればいいと彼は言ったけれどその世界に私は含まれているのかしらと思うし含まれているとしたら彼は私にどうなって欲しいのかな、私をどうしたいのかな、彼の人生において私はどんな位置付けなのかな

 

結婚しても一緒に住みたくないとかなり大声でいろんな人にまくしたてたけどやっぱりよく考えたら彼の荷物がうちに増えたり、毎晩もしくは週一くらいで帰ってきたらすっごい嬉しいんだろうな、嬉しすぎて眠れなくて体調悪くなるんだろうな。

 

 

春の夜の風の柔らかさが異様なまでに苦手な私には少々と言い難いしんどさのある最近ですが、どこかで生きている彼を想えば人生の意味なんてどうだっていいと思えるような気がしないでもないのです

コンドーム以下

 

 

何もかもに腹が立つ

 

どうしてか分からない

 

 

 

今日は会社で三回下痢をして

 

 

そのうち二回は

 

同じフロアでするのはいやだったから

 

わざわざ四階まで下りた

 

 

あとの一回は

 

めんどくさくて降りなかった

 

 

排泄するとき思う

 

人間には穴が一箇所だけ開いてて

 

それは口から肛門までの

 

長い管だけなんだなって

 

 

それ以外に穴は開いてなくて

 

それが詰まったら死んじゃうから

 

 

 

 

つまるところ私は何にも考えちゃいなくて

 

 

生きる意味とか

 

生き辛いとか

 

日本の自殺者数とか

 

何故生きるのかとか

 

 

そういう検索ワードは全部網羅したし

 

検索履歴はどうしようもない言葉ばかり並んでいて

 

 

汚いことか

 

死ぬことか

 

男性のこととか

 

エロい事とか

 

 

そういうことしか考えてなくて

 

 

もっと高尚なこと考えられたらいいんだけど

 

 

結局生きるとか死ぬとか

 

そんなこと考えているようで

 

哲学書なんか読まないし

 

宗教について学ばないし

 

人の話なんか聞いてるようで聞いてないかも知れなくて

 

人の優しさもお世辞も何もかも嘘に聞こえて

 

この世界は嘘だらけで

 

欲しいものなんか何も手に入らなくて

 

欲しいものなんか無くて

 

欲しいものあるはずなのに

 

それを見つけて手に入らなくなることが怖くて

 

やらなきゃいけないこととか

 

理想とか

 

責任とか

 

 

そんなものたちに向き合うことから逃げていて

 

 

新しい命を生みだすことの重さとか

 

生きるってなんなのとか

 

 

そういうのをどんどん吐き捨てて

 

満足したような気になって

 

何にも解決してなくて

 

 

それでも息を吸ったり吐いたりして

 

死ねないくせに

 

そういうことばっかり言って

 

 

そんな自分が痛くて痛くて

 

嫌で

 

気持ち悪くて

 

 

好きなものに浸って

 

タバコ吸って

 

 

好きな物とか人とか理想とかに

 

何となく近づいたような気になって

 

自分に酔ったみたくなって

 

 

そんなのが最強にダサくて

 

 

薄っぺらくて

 

ぺらっぺらで

 

 

コンドームなんてあんなに薄いのに

ちゃんと病気とか

 

望まれない生命の誕生とか防いでるのに

 

 

私の薄さって何の役にも立たなくて

 

 

どんだけ薄くなってもだれも喜ばないし

 

誰も気持ちよくならない

 

価値も上がらない

 

ただでも誰ももらわない産廃

 

 

 

今さえ良ければいいとか言って

 

お菓子たくさん食べて

 

気持ちいいことたくさんして

 

 

ほんと全てが糞みたいで

 

 

 

ほんとは気持ち良いことばっかりしていたい

 

適度な人と布団に入って

 

嘘みたいな愛の言葉を

ミミタコほどに囁きあって

 

温もりあって

 

金が自動的に沸いてきて

 

好きなものばっかり食べて

 

好きな音楽を聴いて

 

一日中飽きるほど寝たり起きたりしたい

 

 

そんな馬鹿みたいなこと考える自分も

 

死ねば良いって思うのに

 

死ねなくて

 

 

みんなまじめで

 

ちゃんと生きてて

 

 

私は食べて下痢ばっかして

 

適当に笑って

 

嘘ばっかりで

 

全部嘘で

 

 

意味わかんない

 

 

 

穴をね

 

全部埋めたいんだ

 

 

 

穴なんかね

 

なくていいんだ

 

 

穴が埋まるととてもいい

 

 

 

穴なんかね

 

在っちゃいけないんだ

 

 

 

胸に穴が開いていて

 

底がなくて

 

どこまででも落ちていく

 

 

どんなことばも吸い込まれて

 

何も感じない

 

 

穴を埋めたくて埋めたくて

 

 

ドーナツの穴がなんとかかんとかとか

言ってる人いたけど

 

 

穴は穴だよ

 

 

最強に頭悪いから

 

同類が嫌い

 

 

自分をみてるようで

 

 

 

 

最強に醜いから

 

かわいくない人も

不細工も嫌い

 

自分の醜悪さを思い出さされて

吐きたくなるから

 

 

 

 

汚いところに棲みたくない

 

れいなものばっかりみていたい

 

 

 

まるごと愛して

 

穴を埋めてほしい

 

 

 

変わりたいようで

絶対変わりたくない

 

 

あなたにも変わってほしくない

 

 

誰も変わってほしくない

 

 

みんなそのままでいてよ

 

 

 

脅かされたくないけど

 

どこまでも介入してほしくて

 

 

骨まで愛されたいし

 

愛したい

 

 

どうしようもなくてさ

 

 

みんなどうやって生きてるの

 

 

こういうのって18歳で終わるんじゃなかったの

 

 

 

 

いまだにありがとうって

 

思えない出来事がたくさんある

 

 

心がブラックホールじゃなかったときの

 

自分がかわいそう

 

 

最初からそうだったなら

 

もっと楽だったのにね

 

 

全部真に受けちゃって

 

馬鹿でほんとかわいそう

 

 

 

 

信じなければ

裏切られないし傷つかない

 

 

死ぬほど傷つきたくない

 

 

 

人に死ねって思って本当に死んじゃったらやだから

 

 

そんな言葉は全部自分に向けるよ

 

 

あの人たちってどんな人生送ってるんだろ

 

 

結婚して子供生んだりしてるのかな

 

 

どんな子供が育つんだろう

 

 

できれば同じ世界で生きていたくない

 

 

どこまででも幸せになってよ

 

 

一回刺さった言葉ってね

 

良くも悪くも消えないんだよね

 

 

毒牙みたいに

 

抜けなくて

 

一生その人の中で毒をまき散らかすんだよ

 

 

心って物じゃないからさ

 

触れないし

 

薬もつけられないからね

 

 

手に刺さったとげみたいに

 

簡単に抜けないんだよ

 

 

十年以上顔も見てないけど

 

幸せになってよ

 

 

人生を分かったような気になって

 

幸せに生きてよ

 

 

あのときあんなこと

言わなきゃ良かったとか

 

しなきゃ良かったとか

 

後悔とか反省とか絶対しないでよ

 

 

一生そんなふうに生きて幸せになって

 

 

 

 

生きててごめんなさいね

 

 

何も愛せない

 

 

里帰りだってほんとはしたくない

 

 

イオンモールは地獄

 

 

 

犬みたくさ

 

何にも言わないで

 

指図しないで

 

愛以外求めないで

 

ただその温もりを与えて

 

愛しそうに全部嘗め回してよ

 

寂しい

 

 

 

生きててごめんなさい

死ななくてごめんなさい

 

これだけは本当

 

可哀想なキウイ

 

この人の隣で

朝を迎えたくないと思った

 

なぜならそれは

この夜が永遠に続けばいい

と思ったから

 

 

朝日に照らされる

その人の輪郭や

凹凸の強い顔の陰影

いかり肩の描く線は

いつもとても美しいのだけど

 

それはつまり

昨夜の終わりを突きつける風景

 

不安定で、答えのない時間の

始まりを告げるから

 

 

その静かな呼吸や

眠りの最中、

ふいに訪れる小さな痙攣

 

そんな穏やかで

揺るぎのない安らぎを感じながら

 

これが私の最期ならと

願わずにいられない

 

 

しっかりとした肩甲骨の間に

顔のすべての皮膚を押し付けて

 

このまま張り付いて

いつか剥がれなくなってしまえと

 

そんな悪い夢まで見たくなる

 

 

 

「キウイほどかわいそうな果物はない」

 

と眠る前にあなたはいった

 

真ん中へ包丁を入れるだけで

スプーンで掬えば

器にまでもなってくれる皮

 

 

種さえも

総て残らず

食べ尽くされて

 

 

食べられるためだけに

生まれてきたようだ

 

かわいそうだ、と

 

 

 

 

でもきっと、あなたは

そんなキウイが嫌いじゃないんだろう

 

 

半分に切っただけで

器まで用意してくれる

総てを平らげさせてくれる

 

その単純かつ慈悲深いキウイを

 

かわいそうだと言いながら

 

あなたはきっと

笑顔で食べ続けるんだろう

 

 

単純で

楽で、簡単で、

すぐに総てを

笑顔で差し出すから

 

 

 

キウイはかわいそうだと

あなたは神妙そうに言ったけれど

 

 

たぶんキウイは

かわいそうではないと思う

 

 

きっとその身を

喜んで差し出し

あなたに自由にされることを

心から望んでいるはずだ

 

 

口のないキウイ

言葉を持たないキウイ

 

 

あなたの前で真っ二つに開かれて

あられもなく食べ尽くされて

 

 

 

かわいそうなものは好きですか

 

本当に好きなものはなんですか

 

それは手に入らないんですか

 

もっと難しいものが好きですか

 

 

 

 

今日も月は半分で

 

あなたの空は曇っていたかしら

 

こちらはどこまでも澄み渡る黒でした

 

続いているはずの空

 

 

お願いだから

明日もどこかで

健やかに生きていて

 

 

 

 

 

モトイくん

 

 

困る、と思った。

モトイくんは、黙っていた。

私も、黙っていた。

 

少し遅めの朝食の最中、モトイくんは唐突に、

「結婚しよう」

といった。

 

一瞬の後、これはアレじゃないか、と思った。

小説とか映画で、よくみるアレじゃないのか、と思った。

どうして小説家や映画監督と呼ばれる人たちは、日常のありきたりな食事中に唐突に、男に結婚を申し込ませたがるのだろう。

 

少なくとも、モトイくんはそういうことをする人ではないと思っていた。

アルマゲドン』が一番好きだと語るニンゲンとは友達になりたくない、とことあるごとにつぶやいていたモトイくんなのだ。

 

今まさに自分が、そんなナチュラルで温もりあるプロポーズとして憧れられそうなシチュエーションの中に、不躾に放り込まれているということを俯瞰しつつ、ちゃぶ台のうえの黄色い沢庵に伸ばしかけていた箸を、とりあえずそっと下げておいた。

 

取り損ねた沢庵をじっと見つめていると、だんだん腹が立ってきた。

失礼じゃなかろうか、と思った。

ごはんを食べることしか考えていていない、寝ているとき以外のいつどんなときよりも無防備なのではないかと思われる、寝坊した朝とも昼ともつかぬ食事中の人間を、突然そんなシーンに引きずり込むなんてどういうつもりだ、と思った。

 

 

モトイくんは再度、

 

「結婚しよう」

 

と言った。

 

聞こえていないかもしれないと思ったらしい。

私が沢庵に箸を伸ばすことを諦めた様子を一応目にしていたはずなのに、最初の言葉がきっと聞こえていなかったんだろうという認識に、自信をもっている口調だった。

 

 

何か言わなくては、と思った。何か言わなくてはいけない、と思った。

何か言わなくては、と思うのだけれど、私の頭の中には、「困る」という二文字しか浮かばないのだった。

 

重箱の隅をつつくようにして頭の中を探し回っても、脳が沸騰するのではないかというくらい意識を研ぎ澄ませてみても、それは同じだった。

私はただ、困っているようだった。

 

 

二度目の呼びかけで、私は無意識のうちに、沢庵からモトイくんへと視線を変えていたらしい。

我に返り、ぼやけた視界がはっきりすると、そこには正座をして、こちらを見ているモトイくんの顔が映った。

モトイくんは、正座をして食事をするような人だっただろうか。

急に、そこにいるモトイくんがモトイくんではないような気がした。

 

 

飲みかけの味噌汁の出汁と味噌が、綺麗に二層に分かれてしまうくらいの間、ひとしきり沈黙を続けたあと、私は、

 

「モトイくん」

 

と口に出してみた。

 

「モトイくん」

 

どうした、とモトイくんがいった。

 

 

こうして何度も呼びかければ、呼びかけと応答を繰り返せば、何気ない食事に戻れるのではなかろうかと淡い期待を抱いてはみたものの、やはり私はなにかしら意味のある言葉を、モトイくんに言わなければならないようだった。

 

 

「モトイくんなの?」

 

「え」

 

「どうして」

 

「なにが」

 

「どうして結婚するの」

 

 

モトイくんは黙った。

モトイくんもまた、困っているのだろうか。

私の目にじっと注がれていたモトイくんの視線が、私の鼻あたりに下がった。

 

「嬉しくないの」

 

 

しばらくして、視線を私の目に戻したモトイくんは訊ねた。

 

 

「嬉しくなくないよ」

 

 

私も、モトイくんに目線を合わせて言った。

 

ふたりでしばらく見つめあう格好になった。

お互いの視線は確かにぶつかっているはずだったのだけど、その交わった点は、なんだかちゃぶ台の上をぷかぷかと彷徨っているようで、今、この瞬間、お互いが何を見ているのか、お互いに分かっていないような感じがした。

 

 

 

私とモトイくんは、大学時代にお互いが所属していたサークルの先輩の結婚式で、たまたま隣の席になったことがあった。

 

皆がほろ酔いで楽しそうに新郎を囲み、花嫁の両親が泣きながら娘をひしと抱きしめる一連の様子を見て、モトイくんは一言、

 

 

「意味が分からない」

 

 

と、わりとはっきりした口調でいった。

私に返事を求めようとして言ったのかどうか分からなかったけれど、念のため私は、え、と聞き返し、モトイくんの少し濡れた唇を見た。

 

 

「結婚の意味が僕にはわからないよ」

 

 

モトイくんは私の方を見ないで、ステージ付近の盛り上がりに顔を向けたまま言った。

 

 

「紙切れ一枚で、どうしてそんなに喜んで、なにがそんなにめでたいんだろう。お互いがそこにいればそれでいいと僕は思うんだけど」

 

 

ねえ、と、やっと私の方を向いてモトイくんは言った。

続けざまに、

 

 

「君も、ウエディングドレスを着て、綺麗だね、よかったね、おめでとう、ってみんなに涙を流して祝って欲しいと思うの? あー、やっぱり女の子だからそうだよね」

 

 

私が何も言っていないのに、モトイくんはそんな風にいきなり結論付けた。

私は小さな声で、

 

 

 「そんなことない」

 

 

とつぶやいていた。

今度はモトイくんが、え、と言った。

 

 

「別にあたしは祝って欲しいなんて思わない。ウエディングドレスだって着なくていい。結婚も、別にどっちでもいい」

 

 

一気にそういうと、いつのまにか声は大きくなり、なぜか自分の顔が上気していることに気付いた。

モトイくんはしばらく私の顔を見つめたあと、ちょっと、と言って手首をつかみ、私を会場から連れ出した。

 

モトイくんに手首を掴まれたままそのホテルのエレベーターに乗り、モトイくんが適当に押した三つ上の階の客室フロアで降りた。

モトイくんは私を連れて、自動販売機コーナーの、ちょっと奥まったところに入った。

手首を離さず、モトイくんは私を見おろした。

 

座っていたときは分からなかったが、そういえばモトイくんは私より二十センチくらい背が高かったことを思い出した。

ぼうっとモトイくんを見つめていると、モトイくんは何も言わないまま顔を近づけ、唇を重ねてきた。

しばらくの間、私たちは自動販売機の前でそうしていた。

モトイくんは、唇を離すと、

 

 

「連絡先、知ってたっけ」

 

 

と言った。

モトイくんは、少しだけ照れたように笑った。

その日初めての、いや、私の人生で初めて見るモトイくんの笑顔だった。

そのとき初めて、モトイくんの歯並びがとてもいいこと、そして、大学時代、私はほとんどモトイくんと関わらなかったことに気が付いた。

 

それから三年が経とうとする今、モトイくんは同じ唇で、「結婚しよう」と言ったのだった。

 

 

「嬉しくなくないよ」

 

 

と言いながら、私はその日のことを思い出していた。

結婚の意味が分からないって言ったじゃない、とモトイくんに今言うのは、なんだか違う気がした。

だけどやはり、そう聞いていたからには、結婚しようといったモトイくんの気持ちをきちんと知っておかなくは、と思った。

 

 

「嬉しくなくないけど、どうして結婚しようと思うの」

 

 

採用面接のような言い方にならないよう、できるだけ、女の子らしい可愛さを残したつもりで、そう言った。

 

 

「面接みたいだな」

 

 

とモトイくんは苦笑いした。

私の渾身の演技は、全く意味をなしていなかった。

 

 

「なんとなくかな」

 

 

とモトイくんは言った。

 

 

「なんとなく、そういう気持ちになったんだよね。今。さっき。自然と」

 

 

モトイくんは、私の顔を眺めながら言った。

モトイくんの顔ってこんなに柔らかかったっけ、と思い、やはり目の前にいるのはモトイくんじゃない、結婚詐欺をはたらく七変化が得意な妖怪なのではないか、と思った。

約三年前のモトイくんは、もっと冷たくて、鋭い目をしていたような気がした。

 

 

「一緒に住むの?」

 

と私は訊ねた。

 

「そうだね」

 

とモトイくんは答えた。

 

「むずかしい」

 

と私は伝えた。

 

「むずかしい?」

 

 

とモトイくんは問い返した。

 

「なにがむずかしい?」

 

モトイくんは然るべき質問をした。

 

 

「ロッカーの鍵を失くしたの、会社の」

 

「会社のロッカーの鍵を失くしたの?」

 

「そう、失くしたの」

 

「それの何がむずかしいの」

 

 

私は半年前に、会社の更衣室で各個人に割り当てられたロッカーの鍵を失くしていることに気が付いた。

そのロッカーに私は、片付けが間に合わない不要な資料を目いっぱいつっこんでいた。

開けなくても困らないのだが、鍵を失くしたことをまだ会社に報告していなかった。

 

 

モトイくんは、隣の県に住んでいて、私たちは少し遠距離恋愛だった。

それでも、二週間に一回くらいのペースで会っていたのだけれど、結婚して一緒に住むことをモトイくんが望んでいるとなると、毎朝八時四十五分に隣の県から出社するということは現実的に厳しいし、あまり想像したい未来ではなかった。

モトイくんが私の県に越してきて主夫になる、というパターンは、互いの収入の違いを考えると、望ましいとは言えなかった。

 

となると、結婚したら私は会社を辞めなくてはならなくなる。

同時に私は、ロッカーの鍵を失くしたことを、会社に申し出なければならなくなる。

そう思っただけで、私は胃の底にコンクリートでも流し込まれたような重さを覚えた。

 

 

「会社にロッカーの鍵を失くしたことを言いたくない」

 

 

それを聞いたモトイくんは、以前より丸みを帯びたものの、やはり切れ長のすうっとした目でしばらく私を見つめたが、それから何も言わなかった。

 

 

仕事を休もうとするとき、真っ先に、休むという連絡をすること自体の面倒くささに負けて、結局、出社する。

友達に何かに誘われても、もし何かあって断らなくてはならなくなったときや、急に家を出るのが嫌になったときのために、断るという面倒くさい行為を避けるために、はじめからできるだけ人と約束をしないようにする。

私にはそんなところがあった。その先にある、ちょっとした面倒事を理由や言い訳にして、現状を保つような、そんなところがあった。

 

私は今、結婚という、現状をひっくり返すような「大事」から、必死で逃げようとしている。ロッカーの鍵を失くしたことを言い訳にして。

 

 

モトイくんが、私が取り損ねた沢庵を無言のまま口に運び、ボリボリと鳴らした。

私も味噌汁をかき混ぜて、口に流し込んだ。

味噌汁はもう冷たくなっていたが、まだ、土曜日の昼前だった。

 

二人で黙って茶碗を片付けた。

私が洗って、モトイくんが拭いた。

モトイくんが拭き終わった茶碗を、二人で食器棚に戻した。

何も言わず、リビングに戻った。

窓の外を眺めた。

六月にしては珍しく、暑くもなく寒くもない、いい天気だった。

 

モトイくんはそのまま寝転がった。

私も寝転がった。

どれくらいか経って、起き上がってモトイくんを覗き込むと、眠っていた。

寝顔を、まじまじと眺めた。

いつものモトイくんだった。

 

気が付くと、私も眠っていたらしく、時計は五時を指そうというところだった。

見まわすと、モトイくんがいない。

急に不安になって、心臓がドキドキと鳴った。

 

モトイくん、どこにいったんだろう。

帰ってしまったのかな。

怒らせたかな。

モトイくん、モトイくん。

                                                                                                                                                  

モトイくんを探さなくてはと立ちあがった瞬間、リビングの向こうから、ジャーと水の音が聞こえた。

なんだ、トイレか。

ホッとして、私はまた、へたへたと座った。

 

 

「さんぽにいくよ」

 

 

と、玄関からモトイくんが言った。

私は立ち上がり、モトイくんの方に向かった。

 

外に出ると、雨の後の匂いがした。

よく見ると、アスファルトは少し濡れていて、私たちが眠っている間にひと雨降ったようだった。

 

道の脇の塀には、大小様々の、雨に呼びだされたカタツムリがいた。

カタツムリが苦手な私に、モトイくんは、「あ、かたつむり、あ、あそこも」とニヤニヤしながらいちいち報告した。

「やめてよ」と私が嫌そうにしてみせると、モトイくんは子供みたいに笑った。

塀の上から、ところどころに青や紫の紫陽花が覗いていた。

カタツムリは好きじゃなかったけれど、紫陽花が大好きな私には、少し困った季節だった。

 

いつものように手をつなぎ、目的もなく歩いた。

少しだけ、おなかがすいた。

 

そのまま家に帰り、私はカレーを作り、モトイくんはテレビの前に座り、カレーが出来ると何事も無かったかのように食べ、テレビで笑い、茶碗を二人で片付け、それぞれ風呂に入り、上がり、髪を乾かした。

 

 

「寝るか」

 

 

とモトイくんが言って立ち上がり、寝室に向かった。

トイレにいって、玄関やリビングの電気を消し、私も寝室へ向かった。

モトイくんはもうベッドに入っていた。

私が近づくとモトイくんは、ベッドの端の方に寄った。

私はモトイくんが作ってくれたスペースに潜った。

 

モトイくんは天井を見上げていた。

豆電球も付けない主義だけれど、目が慣れてきてモトイくんのスッとした横顔の形が、うっすら見えた。

 

 

「モトイくん」

 

 

私は呼びかけた。

 

 

「ん」

 

 

モトイくんはこっちを見た。

 

 

「おやすみ」

 

 

私が言うと、モトイくんも、おやすみ、と言って、布団の中で私の手を探し、握った。温かくて、男性にしては少し柔らかい皮膚の、だけど大きくて骨ばったモトイくんの手だった。

私はモトイくんの方に身体を向け、モトイくんに鼻をくっつけた。

会えないとき、決まって恋しく思いだすモトイくんの匂いが、ちゃんとした。

 

 

目が覚めた。

雨の音がする。

日曜日の朝だった。

 

いつの間にか握っていた手は離れ、私はモトイくんの肩にしっかり鼻をくっつけて、モトイくんの腕にしがみつく格好になっていた。

そのまま鼻から思い切り深呼吸をして、モトイくんの匂いを胸一杯に嗅いだ。

モトイくんが少し動き、ウーッと言いながら目を覚ましそうにした。

 

 

私は小声で、

 

「おはよう」

 

と言ってみた。モトイくんは、

 

「おはよう」

 

 

と言いながら、この三年間、何回繰り返したか分からない当たり前さで、私の首の下に手を回そうとした。

いつものごとく自然な仕草で、私は頭をもたげ、モトイくんの腕に頭を乗せた。

そのままモトイくんはもう片方の手で、やっぱりこれもいつものように私の顔を自分の胸に引き寄せた。

 

 

「モトイくん」

 

 

と、もごもごしながら言った。

まだ寝ぼけているモトイくんの腕の力が強くて、少し苦しかった。

 

 

「ん」という音が、モトイくんの胸から響いてきた。

 

 

「ロッカーの鍵、もう一回探す」

 

 

と私は言った。

 

 

モトイくんの胸がまた、「ん」と響いた。

そのまま、私はモトイくんの心臓の音を聞いていた。

モトイくんの顔は見えなかった。

 

起きたら、鞄のポケットを全部ひっくり返してみよう、と思いながら、モトイくんの胸で、もう一度眠った。