幸せに暮らしたい日記

未経験を一つでも減らしてから死にたいのに、小心者すぎてスマホという窓を通してしか世界を見ることのできない日々をそろそろやめたい人の心の叫びとメモ

彼の靴を履いた日

うつ伏せになって、

と言うと、

彼は素直にうつ伏せになってくれた

 

何も身につけないまま

彼の四肢をぺたぺたと触る

何かに初めて触れる三歳児のように

ぺたぺたと触る

 

彼の足の指一本一本を触り

”土踏まず”に

いつの間にか口付けていた

 

「なにしてるの」

と彼の呆れた声がする

 

この足何センチ?

と尋ねると、

「30センチ、ブランドによっては31センチ」

とうつぶせたまま彼は答えた

 

 

この三週間、そんなシーンを

なんどもなんども思い返した

 

初めてホテルで二人きりになったとき

手を繋いでキスしただけのあの夜も

確かそんな話をしたのだ

 

二人でソファに並んで

足を並べて

足大きいね、と言って

彼の靴に足を突っ込んで

ホテルの部屋を

ぺたぺたと歩いたのだ

お父さんの靴を履いた三歳児のように

 

そのときだってきっと

彼の足の大きさを聞いたはずなのに

私は忘れてしまっていた

 

こんな風に、きっと

私は彼との色んな事を

忘れているのだと思う

 

彼は覚えているんだろうか

私が足のサイズを聞いたとき

こいつ、あの日のこと

もう忘れちゃってるのかなって

思われたかな

 

そんなこと心配する必要もないか、

とは思う

きっと彼だって忘れているに違いない

たぶん

 

あなたの匂いが好きだとか

この皮膚の感じが好きだとか

彼の胸の上に頭を乗せて

色々言ってみるのだけど

 

あなたが好きだとは

どうしても言えない

 

身体だけを好きな人間みたいに

なってしまう

 

どこかで「そうじゃない」と

伝えなくてはならないのだけど

どうしたもんだろうか

 

彼の手を取り

今度は手の指を撫で

見つめる

 

どんな指だったかなって

思うことがあるよ、と言うと

「普通の指でしょう」

と彼は言う

 

ううん、とっても整っているよ

 と伝えると

「何、整ってるって」

と笑う

 

わたしはあなたの全てが好きなのに

笑い事じゃないのに

 

そのちりちりの真黒なくせ毛も

ちょっと茶色い優しい瞳も

毛の薄い脚も腕も

口の周りの香りも

どちらの肌か分からなくなりそうなほど似通っている肌質も

その低い声も

わたしを意のままに操っているところも

次々に新しい世界へ進んでいくところも

ものすごく静かに眠るところも

死んだ人みたいに布団に包まれて眠るところも

朝髪の毛が爆発するところも

意地悪なところも

私の表情を見逃さないところも

言葉のセンスも

食べ物の好みが生き写しのようなのも

 

何もかも好きなのに

なんで言えないんだろう

 

全部好き、なんて言ったら

薄っぺらい

愛してるなんて

もっと薄っぺらい

 

でもそれ以外に表現できないから

それに甘んじるしかないのかと

悔しくなるほどには

あなたを好きなのである

 

ある会話の途中、彼は

「僕もそんなことしたら

 さすがに嫌われるんやろうな」

と言った

 

嫌わないよ、と思ったけど

彼は私に好かれている自覚があるんだと思った

それはとても嬉しいことだなと思った

 

どうしたら

彼と添えるのだろう、

 

形にはこだわらない

ただ、これからも

彼の動向を知っていたいし

ときどきでいいから彼の口から

近況を聞きたいし

ときどきでいいから

肌を寄せ合いたい

 

お互い老いていくのだろうけれど

それさえも楽しんでいけるような

 

どうしたら彼と共に生きられるんだろう

 

起きて、交わって

枕の位置と逆向きで抱き合って

「昨日はよく眠れた?夢見た?」

と彼が訊ねるので

わたしはその日見た夢を答えるべきか

彼の胸の中で迷っていた

結局、見た、と答えると案の定、

「どんな夢?」。

 

私は彼がいなくなる夢を見ていた

おもちゃ屋さんで喧嘩して

もうさようならしよう、

そんな夢だった

 

もう会わない、って言われる夢

と答えると

「それ現実になる夢だね」

と彼が言った

思わず彼の顔を見上げると

ニヤッとしていた

 

そのあと彼は

「手が温かくて気持ちいい」

と彼のひんやりした背中に乗せていた私の手を評し、

眠ってしまった

小さな子を抱いて眠るような

そんな気持ちだった

 

一緒に居ると

二人とも子供みたいになってしまう

そんな瞬間が愛しい

 

いつか会えなくなるんだろうか

いつか一目見ることさえ叶わなくなる日が

 

そんなことを思ったら

今はなんて幸せなんだと思う

 

彼から連絡がもらえて

彼と会えて

一緒に眠れて

 

そんな時間を手放すことは

私にはできそうにない

 

この三年間、色んなことがあったけれど

彼を忘れた日なんて

一日も無かった

この三年間、なんとなく

繋がり続けていた

 

それは紛れもない事実なのだ

いくら好きでも

離れてしまう人たちも

この三年間たくさんいただろう

 

実りある三年とは言えずとも

繋がっている

 

私はだれにも

幸せにして貰いたいなんて思わない

私は幸せになる

幸せの責任を自分でとれる人間になる

 

それがいい

負けてられない

ハイストリートを一人闊歩していると、見覚えのある影があった。
確実に、彼だ。
ビルの谷間に吸い込まれていく彼に、慌てて背後から忍び寄る。


何者かが後ろからつけてきているのに気付いたのか、彼は足を速めた。


ここはイギリス。いくら先進国と言っても、日本ほど安全ではない。そうするのも当然のことだと思いながら、横並びになったところで「ぎっちゃん」と声を掛けた。


ぎっちゃんは、明らかにぎょっとした感じで振り返り、そして私だと確認すると、かなりすっとんきょうな顔をした。


「え、なんで?」


それもそうだ。東京並みの大都会のど真ん中で、同じ時間に同じ通りを歩いているなど、ある意味恐ろしいほどの偶々である。GPSでもつけていてストーカーしていない限り、奇跡的な偶然である。

 

彼と会うのは翌日の予定だった。朝九時にパディントン駅で待ち合わせをして、ナショナルレールでケンブリッジへの小旅行をしようと計画していた。


だいたい、私がロンドンに行くことになったこと自体が偶然(間違って航空券をとった)であり、なんとなく彼がロンドンにいるような気がして連絡したら本当にロンドンに居たというのだから、それはそれで恐ろしいことである。


予定外にばったりと会った後、彼はええ~っと言いながら、約束があるから! といって去って行った。


路地裏に消えていく彼の背中を見送りながら、なんだか痩せたんじゃないか、と不安になった。背まで、小さくなったように見えた。絶対気のせいなんだけど。

 

次の朝、約束通りパディントンで待ち合わせた。昨日ばったり会ってしまったことで、今日会うのが嫌になってしまうのではといささかの不安を抱えながら眠った前夜だったけれど、彼は無事にやってきた。
昨日の狼狽の様とはうってかわって、おうっ、と私の肩を小気味よく叩いた。

 

久しぶり、といってパディントンのチューブへと潜る。地下に下りる階段で、彼は私のスーツケースをひょいと持ち上げようとして「おもっ! なにこれ!」と言った。相変わらずのひょうきん節な声色である。うるさいな、と言いながら思わず笑ってしまったが、彼はその後も私の荷物を抱えて階段を上り下りしてくれた。


並んで歩くと、やっぱり178㎝の彼は縮んでいなかった。

 

けれど私は、「ちゃんと食べてる?痩せたんじゃない?」と訊ねてみた。すると、ぎっちゃんは、「そんなはずはないよ、太ったはずだよ。だって筋トレしているんだから」と答えた。

「え、筋トレしているの? マッチョになるの?」と訊ねると、ぎっちゃんはにべもなく、「そうだよ、マッチョになるよ」と答えた。

どのくらいマッチョになるのかと訊ねると、「ほら、あの人くらい。あっちの人はひょろひょろでしょ。あの人くらいになるよ」と飄々と答えた。


いつだって彼は飄々としていたな、と思った。初めて会った時も、初めて部屋へやってきたときも、私の部屋を出て行った後に送ってきた「また来るよ」のメッセージも。

 


ナショナルレールに乗るために、キングズクロス駅へ向かった。
まずは隣り合っているセントパンクラス駅に、私の重たい荷物を預けた。

ぎっちゃんが、「お腹が空いた、死んでしまう」と言った。キングズクロスからケンブリッジまでは、約60分。死なれると困るのでパン屋へ行った。

ぎっちゃんはクロワッサンとコーヒー、私はクッキー。

 

無事列車で席を確保した。

ぎっちゃんが、「ねえ!一時間なにする?」と無邪気に尋ねた。

 

わたしたちは、この約二年間、ほぼ連絡を取り合っていなかったので、近況を伝え合っていたら60分はあっという間だった。

 

その間、草原を駆け回る馬を見つけるたびに、私が、「ねえ!馬だよ!」と言い、それが10回を超えたころ、「そうだね、まんちゃん、馬だね。僕はもうそれ以上の反応ができないよ」と理路整然といなしたので私は馬を見つけたことを報告することをやめた。

 

なんで前職を辞めたの、と尋ねると、

「もう学ぶことがなくなったからだよ」

と、ぎっちゃんはさらりと言った。

 

「次はどこに住むの?」と尋ねると、「そのうちオマーンにいくよ」

オマーン??ねえ、ぎっちゃんは最終的にどうなりたいの?」

「火星に行きたい!だからお金が要るの」

「そうなの。火星に行くの。すごいね」

「まんちゃんは行きたくない?火星」

 

冗談か本気かわからないようなことだったけれど、その中にはぎっちゃんの真剣な想いが少なからず含まれていることを、私はなんとなく感じ取っていた。

 

止まることが怖いんだ、と言うぎっちゃんは少なくとも、生きることにとても真摯であるなと思った。

 

とにかく英語は必須だ、と、ぎっちゃんは言った。とりあえずなんとなくわかればどうにかなるよとも言った。土日だけ帰ってくるシェアメイトとはほとんど話さず、名前すら知らない、と楽しそうに言った。

 

ぎっちゃんのこういうところが好きだったなあと、その口調を左耳に心地よく聴いた。

 

電車を降りた。ケンブリッジは快晴だった。これ以上にない、快晴だった。真夏のような抜ける青の空の下を、眩しがりながら並んで歩いた。

 

ぎっちゃんも私もトイレに行きたかったので、ショッピングモールでトイレを探した。それで2人して迷子になり、トイレを諦めようとぎっちゃんが言ったけれど、わたしは半ば宝探しのような気持ちになっていて、ぎっちゃんに従わずトイレを探した。

ぎっちゃんは呆れたように、トイレ探すのに時間を取りすぎだね僕達、と言いながらも、ついてきてくれた。

 

無事に見つかり、用を足した。ぎっちゃんの方が出てくるのが遅くって、わたしは見捨てられたのではと不安になった。

そういうことはその後も何度かあり、わたしは見捨てられ不安を強めに持っているのだなという自覚をした。

 

ケンブリッジは、私たちが思っていたほど緑の楽園ではなかった。

ただ太陽が燦々と降り注ぐ、ある種、地中海のような雰囲気の日照りの中をずんずんといった。

 

いくつかの教会をまわり、わたしが学生に間違えられたことをぎっちゃんが馬鹿にし、川ではしゃぐ若者たちを2人眺めながら若干侮蔑的なコメントをし、ハンバーガーを食べ、野原に出た。

 

わたしがお昼寝したい、とのたまうと、ぎっちゃんは、「いいよ、一番緑のところへ行こうね」と言った。

「一番緑?」「うん、一番緑。まんちゃん探して」と言うので、

わたしなりの「一番緑」を探して寝転んだ。

 

こりゃあ日焼けしちゃうよ、とわたしが言うと、「日焼けするよ!日焼けしなきゃ!」とぎっちゃんは明るく答えた。

わたしは嫌だったので、リュックで顔を隠して寝転んだ。

30分も経ったころ、本気で寝ていたことに慌てて起き上がると、ぎっちゃんが上体を起こしてぼうっとしていた。

本気で寝てた、というと、ぎっちゃんは笑った。

「行こうか」と立ち上がり、「一番緑」を出た。わたしが植物園に行きたいと言ったので、ぎっちゃんが連れて行ってくれた。

 

道中、なんだかここにいると自分がすごく小さくなったような感じがするよ、とぎっちゃんに伝えた。

 

ひとり旅の間、ずっと思っていたことだった。

日本にいると横幅があると思っていた自分が、イギリスにいると、縦も横も小さくなった気がしていた。

ぎっちゃんが、「まんちゃん痩せたよ。3分の2くらいになったよ」と言った。

わたしは痩せてなんかなかったから、この人もまた、異国で錯覚に陥っているのだと思った。わたしがぎっちゃんの小ささを不安に思ったように。

 

「わたしは中途半端サイズなんだよ。日本じゃでかいし、こっちじゃ小さいし」

 

そうぼやくと、「なら鍛えなきゃ」とぎっちゃんが言った。

ぎっちゃんもそう思って鍛えているの?と尋ねると、「そうさ」とぎっちゃんは答えた。

 

「負けてられないよ、まんちゃん」

 

不意にぎっちゃんが言った。

その後も何度か、ぎっちゃんは同じことを呟いた。

 

「負けてられないんだよ。そうでしょ?」

 

そのとき、わたしは初めて、ぎっちゃんを知った気がした。

ぎっちゃんの匂いも、手の柔らかさも、背中の感触も知っていたつもりだったけど、何もわかっていなかった。私が知っていたのは、ぎっちゃんを包む端整な肉体だけだった。

 

 

そうだね。

負けてられないね、ぎっちゃん。

 

なんだか、涙が出そうになったけれど、わたしは我慢した。

 

飄々としているぎっちゃんから、不意に飛び出した、マグマの塊のような言葉。

 

ぎっちゃんは、生きていた。

ありとあらゆることに、自ら望んで戦いを挑んでいた。

 

 

負けてられないよね。

負けてられない。

欧米人にだって、他の日本人にだって、自分にだって。

 

ぎっちゃんに会えてよかったな。

好きとか嫌いとか、男とか女とか、

そんなことを越えて、

イギリスに来て、ぎっちゃんに会えて、

人生でぎっちゃんと知り合えて、

本当によかったと思った。

 

 

 

帰りの電車に、乗り間違えた。

わたしの飛行機の時間を考えて

しきりに時間を気にするぎっちゃんが、

「どうしてそんなにまんちゃんが冷静でいられるのかわからない」と言い出したので、わたしもさすがに焦り始めた。

どうしようどうしよう、と言うと、本当にこっちに住みたいなら、もう帰らないで会社辞めればいいじゃん、とか言い出したので、それもありだなとか思いながら、それでも急いだ。

 

気づいたら荷物の預け証もなくしていて、バタバタとしながらセントパンクラスを出た。

キングズクロスの改札まで送ってくれたぎっちゃんに、飛行機に乗れなかったら帰って来ていい?と尋ねると、そうしないでどうするの?とぎっちゃんが言った。

 

結局わたしは無事に空港に着き、ぎっちゃんのお世話にならずに済んだ。

 

ぎっちゃんに、ありがとう、とラインすると、「おお、無事だったか、よかった」と返事が来た。

 

 

それからぎっちゃんには連絡を取っていない。

これからまた、会うことがあったら、

ちゃんとお礼を言いたいなと思う。

 

 

負けてられないね。

人生、負けてられないよね。

 

 

しばらく、わたしはそんなことを思って生きていこうと思う。

 

ありがとう、ぎっちゃん。

ありがとう、イギリス。

 

ぐるんぐるん

あたまのなかを、彼の名前がグルングルンとまわる。

やっと呼べるようになった呼び方で、グルングルンとまわる。

 

名前だけが独り歩きをして、

その名前の持ち主の顔は浮かばない。

どんな笑顔だったかな

 

わたしはあなたを好きだったのかしら。

あなたはわたしを好きだったのかしら。

わからないわからない。

 

でんわをしてみようか、と

なんども名前を探して

緑のボタンに手をかけるのだけど

押せません。

久しぶりに仕事以外で交換した電話番号。

ラインじゃなくて電話番号。

嬉しかったんだけどな。

 

あなたもわたしを思っていますか?

どんな風に思っていますか?

わたしはあなたをどう思っているかわかりません。

 

ただ、寒いなあって

会いたいなあって

その頰がなつかしい

 

今日も疲れ果てて

床で寝るのかしら

 

お腹が冷えるよ

ちゃんと着替えないと

疲れがとれないよ

 

さよならさよなら

声が遠くなるね

さよならさよなら

 

ありがとうさようなら

髪に指を通しあい

気持ちがいいねと頬を寄せては口付けて

 

あなたのいつでも林檎のような頬は

拠り所でした

 

わたしの長い髪が

あなたの口へ入ってしまうのか

時折顔をしかめるのは

きちんと見ていたよ

 

あなたは一晩中抱きしめて

明け方に時計を探すわたしを

床へ引き戻しさらに抱き寄せたけれど

わたしにはもう隣にいる勇気がない

 

温もりからそっと抜け出したとき

起きていましたか、

 

暗がりの中、

鉄の箱へ押し込まれる人波に

果てしなくひとり

 

あなたの部屋から連れ帰った

コットンの寝巻きは

あなたの臭いが染み付いて

わたしはまだ、取り出せないでいる

 

なにをしている

愛しい人

確かな時間があったことを

わたしは消さない

 

ありがとう、さようなら

 

ありがとう、

さようなら。

 

帰依

浅はかな行いが愛しいものを壊してしまった時
貴かった砂の城を唐突に蹴っ飛ばしてしまった時
わたしはわたしを憎むしかなくて
現在いっときこの瞬間までわたしを構築している
命や時間や細胞その他すべてを呪うしかなくて
紙切れ一枚で解決しようとしたその薄さを
きっとあなたは侮蔑したろう
死んだらどこにゆくのかと
魂などないのだと
輪廻転生を繰り返し浄土に生まれるその日まで
人は産み落とされた瞬間から苦しみの渦に
次は畜生だろうか
次は餓鬼だろうか
ねえ人間は幸せなのですか
聞法なんていいから愛を
人でなくても愛は聴けるのに
人のわたしが愛を聴けないのはなぜ
永遠にぐるぐると抜けられない腐りゆく細胞
白波がすべてをさらってゆくまでに

 

恋をした時の身体的反応に嘘をついて得られる幸せ

人を好きになった時、

自分がどんな気持ちになるのか

身体がどんな反応をするのか

 

わたしはもう知ってしまっている

 

胸の奥がさざめいて

引っ張られて

胃がどんどん狭くなっていき

頭のどこかがふつふつと熱を持って

目はらんらんとして

口元は時に緩みはっとして一文字に結び直すことを繰り返し

何も面白くないのに止まらなくなる笑い

寒くもないのになぜか震える指先

傍に寄りたくなる衝動

 

そういったものをもう全部知ってしまっている

 

 

意識的に意図的に

その反応に持ち込みたくても

持ち込めないことを

 

わたしは腹が立つくらい知っている

 

知らなければ

と、思う。

 

好きという感情を伴った時の

自らの身体的反応を知らなければと

 

思おうとしても

身体が付いて来ないのは

どうしようもない

 

身体が付いて来ないことが

一番苦しい

 

身体に反したことをしていることは

自分を裏切っているような気がして

嘘をついているような気がして

そしてそれは同時に相手にも嘘をつくことであり

 

何もかもが嫌になってくる

 

 

 

幸せというのは

そのすべてを諦めながら

つかんでいくものなのでしょうか

 

それを幸せと呼んでいいのでしょうか

 

 

メンヘラ欠陥住宅


満月が暗闇に帰り、

またそのふくよかな円さと

冷たい輝きを取り戻すまでの間に

 

新しい生命を育めなかった血液は

 

わたしの躰から追い出されていく

 

 

その寂しさなのか

 

断末魔の叫びなのか

 

わたしはその頃、かならず

 

消えてしまいたくなる衝動に駆られる

 

 


そう思うことは

 

だれかにこのどうしようもない存在を

 

受け入れられたいからなのだろうか

 

 

そう叫ぶことで

 

私は誰かにこの存在を

 

思い出してほしいのだろうか

 

埋まることのないなにかを

 

埋めようとしているのだろうか

 


そんな風におもっては

 

恥ずかしさに打ちひしがれ

 

突然を装って殺してほしいとさえ願う

 

 


だがそれは違うのではないかと

 

最近思うのだ

 

 


意味の分からないくらいの

 

圧倒的な愛情を

赤の他人から注がれるという

 

未経験の出来事を全く受け止めきれずに

 

右往左往する日々の中で

 


だれかに受け入れられたい

という気持ちは

 

そこまで強くないのではという

 

新たな見解が芽を吹いている

 


こんな欠陥住宅

 

住みたいと思ってもらえるなら

 

それはそれは有り難いことだと

 

意外とうまくいくんじゃないかと 

 

リフォームでもリノベーションでも

 

なんでもしてくれよと

 

 

なんとはなしに

 

一時的に扉を開けてみたのだけど


とんでもない間違いだったらしい

 

 

長きにわたる一人暮らしと

 

きちんとした恋人という存在を

 

持たなかった長い時間のせいで


私の心はいつのまにか

 

要塞と化していたようで


壁を塗り替えようとでもされれば

 

全身の力をもってして

 

それを阻止するようになっていた

 

 


欠陥住宅の借主は

 

そんな様子を目の当たりにし

 

「不思議だ」

 

とか

 

「そこがいいんだ」

 

とか

 

訳の分からぬ美辞麗句をもって

 

退去はしない様子で

 

そのくせ

 

この部屋には暖かさがなくて寂しい

 

だとか

 

つらくて生きていけないとか

 

泣き言を言う

 

 


この住人を見ていると

 

私を見ているようでつらい

 


だれかに恋をしているときの

 

私の汚さを全部集めたような

 

嫌悪感を覚える

 

 

思いの丈を黙っていることは

 

どうしてこうも人を苦しめるのだろうか

 

 

思うにそれは

 

その想いが

 

内側から躰を融かしていきそうなほどの

 

とてつもない熱量を持っているからで

 

 

 

もし自分の思いを外に吐き出せば

 

その熱量は伴われたまま

 

誰かの心を苦しめるのである

 

 

 

黙っているということは

 

苦行である

 

 

 

伝えて叩き潰される苦しみも

 

伝えない苦しみも

 

同じくらいじゃないだろうか

 

 

だからこそ

 

黙っていて欲しいのだ

 

 

黙るという努力を見せて欲しいのだ

 

 

メンヘラというのは

 

その苦しみを相手に預けて

 

どうにかしろと無言の圧力をかける

 

そういう汚いやつなのだ

 

 

そしてそれはわたしなのだ

 

 

同類を見て

 

初めてその醜さを知る