幸せに暮らしたい日記

未経験を一つでも減らしてから死にたいのに、小心者すぎてスマホという窓を通してしか世界を見ることのできない日々をそろそろやめたい人の心の叫びとメモ

ばあちゃんのこと。

 

考えてみれば、あのばあちゃんはすごかった。

 

 

朝、晩と、必ず仏壇の前に座り

お茶を入れ、ご飯をそなえ

線香をあげ、般若心経を唱えた。

 

365日、欠かさずである。

 

もっとも、

私がばあちゃんに会っていたのは

幼稚園生から中学三年までの

夏と冬の一週間だけだったから

本当のところは分からないが

 

あのばあちゃんなら、

一日たりとも欠かさずにやっていたに違いないと

私は閻魔様の前でも誓うことができる。

 

 

ばあちゃんが仏壇の前に座ったのを見つけたら

私は必ず隣にいって一緒に座った。

 

そうすると、ばあちゃんは毎回、

「わ~」

と言って満面の笑みを浮かべた。

 

仏壇に拝んで何かを徳を得ることよりも

私にとってはその、ばあちゃんの

「わ~」

と共に見せてくれる満面の笑みの方が大事だった。

今思えば、それをただ見たかったがために

仏壇に座っていたように思う。

 

 

私が4歳の時、じいちゃんが突然倒れ、

一年間の植物状態ののち、死んだ。

 

そこからばあちゃんの拝む時間は

さらに長くなったように記憶している。

 

 

子どもというのは恐ろしいもので

ただなんとなくばあちゃんの横に座って

般若心経を聞いていただけで

私は276文字全文を暗記してしまった。

 

それを知ったばあちゃんは、

いつもより若干目を丸くして

いつもより少し大げさに

「わ~」

といった。

 

この般若心経は未だに暗誦していて

これは祖母が私に贈った

最大の遺産だと思っている。

 

読経が済むと、ばあちゃんは

数珠を戻しながら

「済みました。ありがとう」

と必ず言った。

 

 

 

じいちゃんが死んでから、

ばあちゃんはだだっ広い家に一人ぼっちになった。

 

 

だだっ広いと言ったが、

この表現はまさに適切で、

酒屋を営んでいた先祖のお陰で

ほんとうにでかい家が残されていた。

寺には、小さなお城と言っても

過言ではないような墓を構えていた。

 

中庭があり、苔むした岩の下では

蟹の一家が暮らしていた。

父の弟は、大の蟹嫌いだったので、

私が蟹を釣り上げると、嫌な顔をした。

 

大きな柿の木には、大量の渋柿がなり

たくさんの干柿を土産に持たせてくれた。

 

駐車場の壁には、

なんとなく物騒な雰囲気の漂った

消費者金融の看板がかかっていて

小さな私が「これはなに」と問いかけると

大人たちは困った顔をした。

 

後から聞くと、知らない男が

頼み込んで貼り付けて行ったという

ただそれだけのことだった。

 

 

玄関は、酒屋の名残が色濃く、

かなり昭和を感じさせるような、

当時のサントリーキャンペーンガール

グラビアポスターや、

ニッカウヰスキー

アサヒスーパードライ

などと刻まれたケースが

たくさんあった。

 

ビールやチューハイを並べていたらしい

巨大な業務用冷蔵庫が4つあり、

閉店してからは、

キャットフードだけがそこで冷やされていた。

猫の「ミーたれ」が姿を消してからは、

その冷蔵庫は完全に役割を失っていた。

 

 

その家で、ばあちゃんは

たったひとりで10年ほど暮らした。

 

うちからばあちゃんの家は、

県境を二つほど越えるため、

高速に乗っても6時間はかかった。

 

会いに行くと、

お決まりの椅子で、テレビの前に座っていた。

 

会いに行くたびに、

テレビの音は大きくなっていった。

 

耳が遠くなってしまったことを気にしてか

近所づきあいもあまりしなかったようだ。

いつも家にいた。

 

 

一人で遊びに行ったこともあった。

夏だった。

 

ばあちゃんのお盆の用意は、

毎年すばらしくちゃんとしていた。

妥協がなかった。

 

必ず同じおそなえものをそろえ、

くるくる回る光る灯篭の様なものを飾り

近所の豆腐工場にごま豆腐を買いに行った。

いつもはばあちゃんが

ひとりで買いにいっていたらしいのだが

その時は私も同行した。

 

死ぬほど暑い中、

家の前の川沿いを二人で豆腐工場まで歩いた。

2メートル先がゆらゆらして見える程

暑かった。

 

言葉数の少ない人だったから

なにを喋ったか覚えていない。

 

ただ、ばあちゃんと二人で川沿いを歩いたこと

激しい陽光で全部が白くゆらゆらしていたこと

豆腐工場はあとどのくらいでつくのだろうと思ったこと

初めての豆腐工場に驚いたこと

そんなことをうすぼんやり覚えている。

 

夜になると、

家の前の川で精霊流しが行われる。

花火や、ろうそくを乗せた小船が

川を下ってゆく。

各家庭で船の大きさや形は違い、

見ていて飽きない。

浅瀬に引っかかったりする船もあった。

 

ちょっとしたお祭りのようになって

浴衣を着てはしゃぐ子どももいた。

 

毎年必ず、さだまさしの「精霊流し」が

かなり大音量で延々と流れていた。

 

 

それがひと段落すると、

ばあちゃんはお供え物を川に流した。

今は色々とうるさくてあり得ないことだが、

そのころはそうだった。

精霊流しも、色々うるさいことが原因で

いつしか廃止になっていた。

 

 

それから、何年もたたないうちに、

ばあちゃんが老人ホームに入ることになった

と聞かされた。

 

アルツハイマーがひどくなったらしい。

 

家族三人と犬一匹で、

車に乗ってばあちゃんに会いに行った。

 

 

車いすを押されて、

ばあちゃんが出てきた。

 

ばあちゃんは満面の笑みをたたえ、

「わ~」

と言った。

 

 

父が、

「かあちゃん、元気ね?」

というと、

 

ばあちゃんは笑って

「あら~、誰かにゃ?」

といった。

 

呆気にとられた。

 

「覚えとらんね、俺たい、俺」

と父がオレオレ詐欺まがいの台詞を

大声で口にした。

耳が遠いから、大声にならざるを得ない。

 

ばあちゃんはかなり困った顔で

「ありゃ~、誰かにゃ~?」

とまた言って、首をかしげて笑っていた。

 

私の事もおぼえていなかった。

ばあちゃんが私のことを忘れた、

という現実を飲み込めないのはもちろんだったが

 

実の母に忘れられた父の心の内を思うと

どうしようもなかった。

 

こんなことってあるんだろうか。

忘れるということは、

想像以上の残酷さを持っていた。

 

帰りの車で、

後部座席から両親の後ろ姿を眺めながら

この人たちも、いつかああなるんだろうか、

そう思ってずっと泣いていた。

 

 

私たちを思い出さないまま、

ばあちゃんはあっちの世界にいってしまった。

 

老人ホームの人曰く、

どんな小さなことにでもすぐに笑顔でお礼を言う、

礼儀正しいばあちゃんだったとのことだ。

 

 

ばあちゃんが住んでいた

だだっ広い木造の家も、

蟹の棲む中庭も、大きな柿の木も、

もう跡形もなく、この世界には存在しない。

 

ただ、目を瞑れば、

床の軋みや、引き戸の開く音、床の感触、

畳や線香の香りと共に

私はそこを歩きまわることが出来る。

 

全部とっておければいいのに、と思う。

私の脳から、その記憶を掻き出して、

すべてデータにして、

いつでも再現できるように残したい。

今この瞬間だって、

ちょっとずつちょっとずつ、

あの家の記憶は薄くなっているに違いない。

それがどうしようもなく不安で、恐ろしく、悲しい。

 

 

 

2017年、元日、

ゆく年くる年を観終わってすぐ

父と二人で神宮へ初詣に行った。

 

父が、除夜の鐘をついてみたいか、と

つきたいと言ってほしそうな感じで言ってきたので

私は「ついてみたい」と言った。

 

神宮は私の通った高校のすぐ近くにあり、

いうなれば高校自体が神宮の参道の中に位置している。

そんな私の高校の隣には、

違う漢字を当てはめると若干物騒になる名前の

仏教系の幼稚園があるのだが、

どうやら鐘はそこでつかせてくれるらしい。

 

すたすたと入っていく父の後を追って

鐘をつく塔に上った。

いざついてみると、存外に音が大きく、

確かに邪気などが払われたような感じはした。

 

楽しかったか、と聞かれたので

楽しかったけど音が大きかった、

というと、父は黙っていたが嬉しそうだった。

 

お参りの帰り道、

どうしても、あの時のことを聞きたくなった。

 

「ばあちゃんがお父さんを忘れた時、

悲しくなかったの?」

 

我ながら、ひどい質問だとおもった。

だけど、その時の私はどうしてもそれを聞きたかった。

 

父はひとこと、

「仕方ねぇわな、考えても」

といった。

他にもなにか言ったかもしれないんだけど

忘れてしまった。

 

55歳になると、

色んな事を「仕方ない」で語れるようになるのかしら

と思った。

 

ばあちゃんに似て、

多くを語らない父のことは

よく分からない。

 

ただ、私はこの人にかなり似ていると

心の底で感じている。

 

 

 

 

最近あのばあちゃんをよく思い出すのは

なぜなんだろう。

 

先祖に顔向けできないような

生き方をしているからかもしれない。

 

ばあちゃんの、あの

「わ~」

という笑顔を思い出すと、

なぜか申し訳なさが募るのだ。

 

過去が自分を律してくれる事がある。

 

無口な祖母の笑顔と、

「済みました。ありがとう」という声が

これじゃいけないんじゃないかと

私に思わせる。 

 

般若心経という無形文化財的遺産が

ばあちゃんが確かに隣にいた証拠である。

 

心もち、背筋を伸ばしてみながら、

今日もごめんなさい、と生きている。

 

 

自戒と、ばあちゃんへの感謝をこめて。