幸せに暮らしたい日記

未経験を一つでも減らしてから死にたいのに、小心者すぎてスマホという窓を通してしか世界を見ることのできない日々をそろそろやめたい人の心の叫びとメモ

あの日のホタルを越えていけ

梅雨入りのころ、どこからともなく

ホタル情報が入ってくる

 

それはネットニュースだったり

Twitterの知らない誰かの投稿だったり

 

この季節になったからと言って

ホタルを思い出すわけではない

ホタル情報に触れて思い出している

 

一度、ホタルのことを思い出すと

ホタルのことが頭から離れなくなる

 

今年もやっぱり

ホタルが見たい。

どうしても。

 

 

 

使い古されて

ぼろ雑巾のような紋切り表現だとしても

あえて言おう

 

ホタルは儚い

 

水の中で1年生きて

成虫として飛び回れるのは

たった10日から2週間程度

口の機能が退化していて

水分以外、受け付けないらしい

(つまり死因は餓死!?)

 

その短い時間で、

恋人を探して

ふわふわふわと飛び回る

 

ぼーっと見てると

のんびり飛ぶやつがいたり

びゅーんと飛ぶやつがいたり

けっこう、個性的である

 

のんびり飛ぶやつと

びゅーんと飛ぶやつと

どっちがモテるんだろう

ホタル界では

 

 

さて、

なんでわたしは

ホタルと聞くと

観たくてたまらない衝動に

突き動かされるんだろう

 

 

おそらく

大学時代の恋人のせい(おかげ?)だ

 

彼は、ドライブが好きだった

彼との車の思い出がたくさんある

 

付き合う前には

ホームセンターに連れて行ってもらって

一緒に電気鍋を買ったり

(その日の夜に二人で鍋をしためでたくカップルに)

 

真夜中に終わったバイト先まで迎えに来て

ちょっと遠くのゲームセンターに連れて行ってくれたり

 

運転する彼の膝に頭をのせて怒られたり

 

大喧嘩して一言もしゃべらないまま

湧水地のおいしい水を汲んで帰ったり

 

運転してごらんと言われて

乗ってみたところ

思いっきり逆走して笑われたり

(怒らなかったから優しいよね)

 

楽しい思い出がいっぱいで

してもらったことばかり思い出して

書き出しながら

ちょっと泣きそうになってしまったけど

 

 

そのなかのひとつに

ホタルが入っている

 

 

六月のある夜、

ホタルを見に行くよといって

連れ出してくれたのだ

 

正直、虫大っ嫌いだし

その提案を受けたとき

自分がどんな反応をしたのか

覚えていない

 

だけど

そこで見たホタルが

今だに目に焼き付いて離れない

 

 

 

車を降りると

そこは街の明かりの届かない山の端

さわさわと流れる川の音

雨上がりの青い匂い

 

「ホタルおるかな」

「おらんかもしれんな」

 

そんなことを言いながら

川のほうへ足を進める

 

人影がちらほらしはじめた先に

 

 

「おった!!!!」

 

 

黄色い小さな光の丸が

暗闇を漂っている

 

嬉しくなって

少し細くなった川沿いの道を

ずんずん進んだ

 

いきなり川幅が広くなって

それまで近いところにあった

木の群生が遠くなった

 

ぱっと視界が開けて

その先を見上げると

 

 

ホタルのクリスマスツリーがあった

 

 

ホタルのクリスマスツリー以外の表現は

ちょっと思いつかない

 

大きな木立の周りを

無数のホタルが

点滅しながら

飛んだり

とどまったりしていた

 

 

あんまり綺麗で

何も言えなくなった

 

本当に綺麗だった

本当に本当に。

 

 

その年から、

毎年毎年、私は、

テレビやネットでホタル情報を見つけては

ホタルホタルとわめくようになった

 

そのたび彼は、

「またホタルね」と言いながら

連れて行ってくれた

 

時期や天候を外して

見れなかったこともあったと思う

正直、1回目以外の一緒に見たホタルのことは

覚えていない

何回見たかも覚えていない

 

あのホタルのクリスマスツリーを越えるホタルは

もう見られないんだとは思う

「初めて」という、精神的な面での感動も

あの光景をかなり底上げしているに違いないから

 

 

たぶんだけど、

「ホタル!」とわめいて連れて行ってくれた

彼とのやさしい記憶と

ホタルがリンクしているせいで

私はホタルを見に行きたくなるんじゃないか

 

 

その後、彼とはお別れしてしまったけど

いろんな人をホタルに誘った

だけどやっぱり、あんなホタルは見られない

 

 

なんで今日、こんなにも

ホタルホタルと言っているのかというと

昨日、恋人に

 

「わ~、今日ホタル見に行けばよかった、

 もう京都も飛んでるんだって」

 

と、さも残念そうに言ったところ

 

「ホタルなんかいつでも見られるやろ」

 

となんの感情もなく言い放たれたからである

 

「は!ふざけんな!ホタルは儚いんやぞ!」

 

と思って、ちょっと怒りがふつふつしている

 

こやつとは今後一生、

情緒的な面で分かり合えないのではないか、と

不安にさえなっている

 

なんなら去年は一緒に浴衣を着て

貴船神社にホタルを見に行ったのだ

 

貴船口駅からバスにも乗らずに

貴船神社まで歩き

その間にある蛍岩の前の立看板に書いてある和泉式部

「もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」

を一緒に読んで

その辺りを飛び交うホタルを見、

仲良く手をつないで帰ったのである!

 

なんだか、その思い出までもろとも踏みつけられたような

大変残念で悲しい想いでいっぱいなのである

所詮ホタルなんかどうでもいいんだろう!?

 

私はホタルが見たい

あの日を越えるホタルを見たい

見たいんだよ

越えてくれよ、頼むから

 

でもたぶん、あのホタルみたいに

わたしも、恋人にとっての何かを越えられないんだろう

 

はじめての告白とか

はじめての好きとか

はじめてのデートとか

はじめてのキスとか

はじめての抱擁とか

はじめての喧嘩とか

はじめての別れとか

 

はじめての強烈な美しさは

きっと誰にも越えられない

 

「思い出と戦っても勝てねえんだよ」

かの有名なプロレスラーの言葉がこだまする

 

越えられない。越えられない。

 

多分、三日後は、

恋人の元恋人の誕生日だ

 

今年は禊川のホタル、

見に行こうかな

 

私もいつまで

ここにいられるかわからないし

 

 

新連載:恥の多い人生を送ってきました。――序章

2020年、あまりにも何も書いていない。

なんという一年だったんだろう。

貴重な28歳独身の1年を、ほぼ無駄にした感がある。

 

2021年、さっそく虚無モードに陥った私は、

このままの調子で生きていくと、

肉体的な死より精神的な死が先に訪れそうな恐怖を感じている。

 

書かなきゃ。

何かをやらなきゃ。

なんだろうこの焦燥感。

もしかしたらそろそろ本当に死ぬのかもしれない。

めっちゃ元気だけど。

 

書きたいけど、書くことがない。

だから、記憶を掘り起こしていこうと思う。

このちっぽけでくだらない

どうしようもない糞みたいな29年間の軌跡を

一応、掘り起こしてみておこうと思う。

 

ひとつ、困ったことがある。

私は昔の記憶が病的にない。

「あのときああだったよね?」

と言われても、だいたいの場合、

全く思い出せないまま薄ら笑いを浮かべている。

どうしてかわからないけど、

中学校以降の記憶で確かなのは、

恋愛とバイトとほんとに仲がいい友人との印象的な場面くらい。

うちの父親なぞ、何か昔の思い出を尋ねると

「あれは1997年のことだな」

と、西暦付きではっきり覚えているから本当に怖い。

同じ人間だと思えない。

 

そんな私がこの小さな脳みそで

必死になって記憶を手繰り寄せたとき

鮮明に覚えていることについての傾向があった。

 

それは、「恥ずかしい」記憶である。

思い出したら思わず声をあげてしまうような

恥の記憶である。

それだけは、結構たくさん出てきたのだ。

 

この「連載」(笑)では、

私の人生のにおける「恥」にまつわる記憶を

書き起こしていきたいと思う。

忌憚なく。まるはだかで。

 

さっそく今夜、

一番古めの「恥」を書いてみようかと思ったけど

心がやめろやめろともだえ苦しんでいるので

今日はやめておこうと思う。

本当に書けるのかな……。

先が思いやられる。

春、禿げる

 

春がむずむずし始めるころ

白い靴が欲しくなるのはなぜだろう

 

去年も、その前の年も、

沈丁花や桃の香りをのせた夜風の中で

「白い靴を買わねば」

とはっきり思った

 

無印の真っ白のデッキシューズを買い

意気揚々と出かけた後

防水スプレーをかけ忘れたことに絶望し

七日もたてば、もういいや、と

自分の足で自分の足をよく踏む悪癖も

気にしなくなった

 

無印の真っ白のデッキシューズは

その後、4回ほどリピートした

そして毎回、真っ黒に履きつぶして

おじゃんにしてきた

 

でも、今年の私は違う

2020年3月における

私の人生に対する意気込みは違う

20代崖っぷち、気に入ったものには

尻込みせず足をつっこむことに決めた

 

すみません、

前置きはどうでもいいのです

kissa sportsのヒールアップスニーカー

を買ったと言いたいだけなのです

 

ついさっき買ったんです

YAHOOショッピングで買ったんです

まだ届いてないんです

土曜日に届くんです

 

奈落の底みたいな昨夜までだったけど

たった1万円の出費で

人の心には羽が生える

(まだ履いてないのに)

 

普段いつも履いているのは

CROWNの真っ黒のジャズシューズ

 

柔らかくて、大きさがちょうどよくて

そこそこフォーマルで

どこにでも履いていける

底はゴム製なので

雑に歩く私には

擦り切れないのがまた良くて

 

1年半ほど二日と開けず履いた結果

昨年末にとうとう側面に穴が開き

慌てて同じものを買いに走った

 

どんなに雑に扱っても

洗いざらしても

びくともせず

むしろ味わいが増すような

そんな物が好きなのだけど

壊れないものなんてない

人も、物も

 

壊れて初めて

慌てて同じものを買いに走る私は

今まで無意識に

誰かを傷つけてきたのだろうな

物は代替がきくけれど

人は無理だ

自分の体も

 

心を開けば開くほど

無遠慮になり

雑になり

粗野になり

 

わかっているのにね

 

人気のない夜道で

自分の息の跳ね返るマスクをもぎ取ったら

夜風が顔をさぁっと撫でた

ひんやり、心地いい

たまらなく春の匂い

肺いっぱいに吸い込んだら

胸がぎゅっと苦しくなって

涙が出る

 

ああ、もうどうでもいいな

 

2度目の円形脱毛症も

結婚できそうにないことも

子供が産めない体になるかもしれないことも

癌の赤ちゃんがいるかもしれないことも

たいしたことなかった自分の人生も

 

ずっと桜が咲かなければいい

ずっとつぼみを愛でていたい

ずっと春なんて来なければいい

ずっと春が来るのを待っていたい

 

白いスニーカーで

どこへいこうかって

ずっと考えていたい

 

なにもかも変わらないで

永遠に何も変わらないで

 

私を置いていかないで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれてきてよかった、と思ってみたい

私には何もない

ことごとく何もない

 

かわいくもない

優しくもない

魔性性もない

頭がよくもない

お金もない

 

ないないない尽くし

一つだけあるとすれば

優しい人に恵まれること

私の周りにいる人たちは

本当にどうしてこんなに優しいのだろう

 

私がダメすぎて

諦められているせいなのか

哀れに思われているのか

それはわからないけれど

本当に優しくて賢い人たちに恵まれて生きてきた

私が誇れるのは

周りの人に恵まれていること以外にない

 

どうして生きているのかちっともわからなくなって

最近ずっと消えてしまいたい

 

どうしてこんなにつまらないのだろう

息をしている感じがしないのだろうと

考えた結果、なにか常に

心の中の自分が首を絞められている感じに気付いた

縛り付けられている

 

私を縛り付けているものはなんだろう

と考えてみた

 

そしてたどり着いたのは

安直だけどまぎれもなく「世間体」

世間体の中には、親の目、会社のブランド、自分自身の見栄

が含まれる

それがなかったらきっと私は

私は際限なくどこまでも何かをしでかしてしまう

「それさえなかったら」とも思っている

 

もっと楽に稼ぎたい

守るものもなければ

失うものもない

世間体以外には

 

正しいか正しくないかより

楽しいか楽しくないかで生きていきたいと

切に願っているのに

私はまともだから

瞬間接着剤で固めたように

理性のブレーキが利きすぎている

 

「生き方を見直せ」

と電話越しに母親に言われた

一生忘れないだろう

27にもなって、親の言葉に過敏に反応する自分を恥じ

呆れもしたけれど

その晩は身も世もなく泣いた

鼻が詰まってちっとも息が吸えなくなるほど

次の日、目が半分しか開かないほど泣いた

 

私が何か悪いことをしたのか

迷惑をかけたのか

親のための人生なのか

私はいつまで子供なんだ

 

目の腫れが引いてきたころ

やっと大きく息を吸い込んで

初めて、親との距離というものについて

真剣に考え始めた

 

家を出たくて、

どんどん私は北上してきたのに

携帯電話だのSNSだののせいで

常に捕まえられている

 

私は常に親に対して罪悪感のようなものを抱えていて

なんだか常に、親のことを可哀想だと思っている

自分たちが生み出した命が

こんなに毎日死にたがっているのだから、

確かに可哀想な部分はあるかもしれない

私は親が望むようには生きられない

田舎に帰る気もなければ

結婚だってしないかもしれないし

子供も産まないかもしれない

それは親にとっては幸せではない未来に違いない

一人娘を独り残して死ぬことは不安だろう

わかる

わかるんだ

わかるけど

子供は親のために生きるのか?

どうして手を離して

自分の人生を楽しんでくれないのか

私のせいで楽しくないみたいな

私のせいで可哀想みたいな

そんな顔をしないでほしい

親は子の被害者なのか?

私は悪い人間なのか?

 

はっきり距離を置こうと決めた

恋の話は二度としないし

近況報告も最低限にしようと決めた

帰ってこいコールも、延ばさず断る

 

親が死ぬとき、後悔するだろう

たぶん

みんなどう折り合いをつけるのか

 

昔、私が小さなころのビデオを見ていた

夏、浴衣を着せてもらいながら私は

何も悪いことをしていないのに

着付けがうまくいかないせいで

イライラした母に叩かれていた

全く覚えていなかったけれど

我が身に起きたできごとながら可哀想だった

 

私はなんであんなに怒られていたんだろう

もしかしてそのほとんどは理不尽なことだったんじゃないか

私の自己肯定感の芽は

あのころ全部摘まれたんじゃないだろうか

 

記憶にない時代が

人の根幹を作るというけれど

もしそうなら

私は一生、この死にたさと付き合わなければならない気がする

 

私は悪い子なのか

愛される価値のある人間なのか

思い通りにならないと愛されてはいけなかったのではないか

 

確かに私はいい子だった

それをひどくかわいそうに思う

悪い子じゃいけなかったのか

私は望んで、いい子だったのか

 

人生に不満など何ひとつない

ただ、生きていたくない

 

子供を産んだ瞬間の喜びは

すべてを凌駕するものだという

私の母も、それを経験しろ、と

結婚と出産を勧める

 

そんなに幸せだったなら

私が生まれた瞬間、

親孝行のすべては終わったんじゃないか

私が生まれたことが本当に幸せだったなら

もう何も求めないでほしい

 

きっとここに書いたことを

私は音読できない

きっと泣いてしまう

 

書けることと口に出せることは違う

 

生きていたいと思える何かに出会いたい

生きていたいと

生まれてきてよかったと

心の底から思ってみたい

 

好きな人の隣でだけは

それが叶う

一秒でも長くと願える

離れた瞬間、今すぐ今すぐ消えたいと思う

 

もう二度と会えないかもしれない今

生きる希望はなにひとつない

無味乾燥

 

私には何もない

何もない人間が愛されていいわけがない

 

 

 

 

 

 

ごめんね

 

好きな人以外の異性と迎えた

天気の良い朝、

だいたい8時半頃、

私は必ず泣いてしまう

 

泣いていることを知られては困るので

背中を向ける

 

他人は

何も知らずに抱きしめてくれる

 

天気の良い朝の8時半頃を

誰かと迎えることが怖い

 

清々しく白い朝光の中で

他人の輪郭を目にするのが怖い

 

他人の体温の中で

目をつぶって

それが好きな人のものであると

必死で思い込む

 

だらしのない乳房に乗せられた

他人の指を撫で遊びながら

あの人と迎えた朝のワンシーンを思い

あの人が今日もどこかで迎えているはずの朝を思う

 

他人の体温の中で

いろんな方向への不要な罪悪感に苛まれ

苦しくなって泣く

 

誰にも悪いことしてないのに

この罪悪感はどこからくるんだ

どこにむかっているんだ

 

欲を満たしあっているだけの

そんな関係性の人に

何の罪の意識を持っているの

あたしに鼻くそほどの興味も持っていない人に

何も思う必要はないんだよ

 

自分に対してなんだろうな

たぶん

 

あたしなにしてるんだろって

誰にも愛されなくて

本気になれなくて

本気になられなくて

へらへらと笑って

味のないキスをして

欺瞞だらけの快楽

 

なんも楽しくないね

ごめんね自分

 

愛されたいよね

 

あたしがこんなだから

こんななっちゃったね

ごめんね

 

どうしても大切にしてあげられない

いろんなことに負けて

その場その場でしか

生きてゆけないの

 

ごめんね

どうしてこんななっちゃったんだろうね

わかんないね

困ったね

ごめんね

これからどうしようね

 

煩雑な頭の中の整理用メモ

appleのCMに使われる曲って

本当に外れないな

って思いながらBillie Eilishにはまった夜

 

顔に尋常じゃない硬さのニキビが

仲良く二つできたので

慌てて素性のわからない酵素洗顔とやらで

びしびしと顔を洗った

 

約3年前の自分の顔写真が

友人から送られてきて

その無邪気な笑顔に愕然とした

彼に出会った頃の私だった

 

部屋のガジュマルの調子が悪い

おそらく寒いからである

不憫だと思う

屋久島でしっとりと暮らしているはずの植物が

京都の寒々とした部屋で

葉を黄色く紅葉させている

環境に文句をいうこともなく

ただ生きるために健気にすっくとしている

 

文明に追いつこうと

利器を購入した

Surface laptop2

iphone8

 

以上二点

 

起動時間およそ5秒のラップトップちゃんを意味もなく触り

applepayにsuicaJALカードを登録して

今日は抹茶キャラメルとピュレグミを買った

 

どれだけ文明に乗っかったところで

部屋の蜜柑にカビは生えるし

顔にニキビはできるし小じわも消えない

 

27歳なのであるよ

私はもう

そりゃ目も落ち窪むし

ロングヘアが似合わなくなってくるよな

 

土曜日は初めて13日の金曜日を見た

初めて見るのにリメイク版で

あまり面白くなかった

ああ、またおっぱいか、という感じ

 

最近一番面白かった映画は

寝ても覚めても」に違いない

 

いろんなことを考えたわけである

 

要するに、

寝ても東出昌大

起きても東出昌大

そういうわけである

 

私はいつも寝ているので

常に好きな人のことばかりである

起きたら、誰もいないという現状

 

そのまま一生寝ているつもりか?

といろんな人に言われる

そんな私の心の友は、

角田光代先生の「愛がなんだ」の主人公、

山田さんである

山田さんだけが、私の気持ちを分かってくれる

 

愛は綺麗ごとじゃない、

などと大声を出す人がいる

私なぞはそれを、

実に醜いな、などと思いながら

相槌を打つわけである

愛がきれいごとじゃなかったら、

世の中に綺麗なものなんかないだろう

愛しあう、ということはよくわからないけれど

一方的に自己犠牲的にでも誰かを強く愛す気持ちだけは

綺麗ごとにさせてくれよ

どれだけ醜かろうが臭かろうが

美しいことにしておいてほしい

 

人の気持ちなどもう何年も前から信用していないので

自分の気持ちだけを頼りに生きているところがある

自分のことを好きになってくれる人が万が一いたとしても

私にそれはわかりっこないし理解もできない

私が信じられるのは、

私があなたを好きだ、というその無垢な感情

それのみだ

どこをどう間違ったらそうなったのか

と親は嘆いていたけれど

最近は嘆くのをやめて笑っている

申し訳ない

 

あなたは

愛する人に、何をしてあげられるのだろうか

わたしは

どれだけ想っても、何もしてあげることがなくて

途方に暮れている

わたしは

たくさんのものを彼からもらっている

と思っている

物理的に形に残るものは

何一つもらったことがない

(彼が部屋に残していったペットボトルを

後生大事に保管していたので、

それをもらったと言えるのなら話は別)

 

わたしたちの誕生日から

ちょうど一か月後の日

彼が急に会いに来た

遅れてきた誕生日だ!と

はしゃげば可愛かったかしら

と思いながらもう一か月近く経つ

 

わたしたちは付き合っているのか

そうでないのか

付き合っているとはそもそもどういうことだったか

わたしにはもうわからないというところまで

事態は深刻化している

 

 

<わたしの望み3つ>

 

①両親が死んだのち、私が入院などする際にサインをしに来てくれる人が欲しい

②一緒にはできれば住みたくない

③好きな人の子供が欲しい

 

現段階、以上三点であることを

2018年12月17日、明確にしておく

 

 

私にとって

好きな人は生きるアートだ

 

次にこの人が何をするんだろうとか

そういうことをつぶさに見ていたい

 

結婚や妊娠で

彼の思い描く人生の方向性を強制的に変えたくはないのである

図らずもわたしは彼の人生に参加してしまったけれど

なんだか妙な感じである

参加型の制作を彼は認めるんだろうか

 

結婚こそが幸せだ

一緒にいさえすれば好きになる

真剣に訴える人と知り合った

惹かれるものが何もなさ過ぎて

怖かった

 

愛がないとだめなのである

怖いくらい愛されれば

わたしは何か変わるだろうか

もし彼が、わたしを死ぬほど愛したら

わたしは彼に飽きるだろうか

ねえ

どうだろう

親以外から愛されたと思ったことないから

わかんないな

 

今日も好きな人が好きな一日でしかなかった

わたしは死ぬとき何を後悔するだろう

病床で、彼に会いに来てと懇願する手紙を書くだろうか

宛先もわからないけれど

愛しているのである

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の靴を履いた日

うつ伏せになって、

と言うと、

彼は素直にうつ伏せになってくれた

 

何も身につけないまま

彼の四肢をぺたぺたと触る

何かに初めて触れる三歳児のように

ぺたぺたと触る

 

彼の足の指一本一本を触り

”土踏まず”に

いつの間にか口付けていた

 

「なにしてるの」

と彼の呆れた声がする

 

この足何センチ?

と尋ねると、

「30センチ、ブランドによっては31センチ」

とうつぶせたまま彼は答えた

 

 

この三週間、そんなシーンを

なんどもなんども思い返した

 

初めてホテルで二人きりになったとき

手を繋いでキスしただけのあの夜も

確かそんな話をしたのだ

 

二人でソファに並んで

足を並べて

足大きいね、と言って

彼の靴に足を突っ込んで

ホテルの部屋を

ぺたぺたと歩いたのだ

お父さんの靴を履いた三歳児のように

 

そのときだってきっと

彼の足の大きさを聞いたはずなのに

私は忘れてしまっていた

 

こんな風に、きっと

私は彼との色んな事を

忘れているのだと思う

 

彼は覚えているんだろうか

私が足のサイズを聞いたとき

こいつ、あの日のこと

もう忘れちゃってるのかなって

思われたかな

 

そんなこと心配する必要もないか、

とは思う

きっと彼だって忘れているに違いない

たぶん

 

あなたの匂いが好きだとか

この皮膚の感じが好きだとか

彼の胸の上に頭を乗せて

色々言ってみるのだけど

 

あなたが好きだとは

どうしても言えない

 

身体だけを好きな人間みたいに

なってしまう

 

どこかで「そうじゃない」と

伝えなくてはならないのだけど

どうしたもんだろうか

 

彼の手を取り

今度は手の指を撫で

見つめる

 

どんな指だったかなって

思うことがあるよ、と言うと

「普通の指でしょう」

と彼は言う

 

ううん、とっても整っているよ

 と伝えると

「何、整ってるって」

と笑う

 

わたしはあなたの全てが好きなのに

笑い事じゃないのに

 

そのちりちりの真黒なくせ毛も

ちょっと茶色い優しい瞳も

毛の薄い脚も腕も

口の周りの香りも

どちらの肌か分からなくなりそうなほど似通っている肌質も

その低い声も

わたしを意のままに操っているところも

次々に新しい世界へ進んでいくところも

ものすごく静かに眠るところも

死んだ人みたいに布団に包まれて眠るところも

朝髪の毛が爆発するところも

意地悪なところも

私の表情を見逃さないところも

言葉のセンスも

食べ物の好みが生き写しのようなのも

 

何もかも好きなのに

なんで言えないんだろう

 

全部好き、なんて言ったら

薄っぺらい

愛してるなんて

もっと薄っぺらい

 

でもそれ以外に表現できないから

それに甘んじるしかないのかと

悔しくなるほどには

あなたを好きなのである

 

ある会話の途中、彼は

「僕もそんなことしたら

 さすがに嫌われるんやろうな」

と言った

 

嫌わないよ、と思ったけど

彼は私に好かれている自覚があるんだと思った

それはとても嬉しいことだなと思った

 

どうしたら

彼と添えるのだろう、

 

形にはこだわらない

ただ、これからも

彼の動向を知っていたいし

ときどきでいいから彼の口から

近況を聞きたいし

ときどきでいいから

肌を寄せ合いたい

 

お互い老いていくのだろうけれど

それさえも楽しんでいけるような

 

どうしたら彼と共に生きられるんだろう

 

起きて、交わって

枕の位置と逆向きで抱き合って

「昨日はよく眠れた?夢見た?」

と彼が訊ねるので

わたしはその日見た夢を答えるべきか

彼の胸の中で迷っていた

結局、見た、と答えると案の定、

「どんな夢?」。

 

私は彼がいなくなる夢を見ていた

おもちゃ屋さんで喧嘩して

もうさようならしよう、

そんな夢だった

 

もう会わない、って言われる夢

と答えると

「それ現実になる夢だね」

と彼が言った

思わず彼の顔を見上げると

ニヤッとしていた

 

そのあと彼は

「手が温かくて気持ちいい」

と彼のひんやりした背中に乗せていた私の手を評し、

眠ってしまった

小さな子を抱いて眠るような

そんな気持ちだった

 

一緒に居ると

二人とも子供みたいになってしまう

そんな瞬間が愛しい

 

いつか会えなくなるんだろうか

いつか一目見ることさえ叶わなくなる日が

 

そんなことを思ったら

今はなんて幸せなんだと思う

 

彼から連絡がもらえて

彼と会えて

一緒に眠れて

 

そんな時間を手放すことは

私にはできそうにない

 

この三年間、色んなことがあったけれど

彼を忘れた日なんて

一日も無かった

この三年間、なんとなく

繋がり続けていた

 

それは紛れもない事実なのだ

いくら好きでも

離れてしまう人たちも

この三年間たくさんいただろう

 

実りある三年とは言えずとも

繋がっている

 

私はだれにも

幸せにして貰いたいなんて思わない

私は幸せになる

幸せの責任を自分でとれる人間になる

 

それがいい