appleのCMに使われる曲って
本当に外れないな
って思いながらBillie Eilishにはまった夜
顔に尋常じゃない硬さのニキビが
仲良く二つできたので
びしびしと顔を洗った
約3年前の自分の顔写真が
友人から送られてきて
その無邪気な笑顔に愕然とした
彼に出会った頃の私だった
部屋のガジュマルの調子が悪い
おそらく寒いからである
不憫だと思う
屋久島でしっとりと暮らしているはずの植物が
京都の寒々とした部屋で
葉を黄色く紅葉させている
環境に文句をいうこともなく
ただ生きるために健気にすっくとしている
文明に追いつこうと
利器を購入した
Surface laptop2
iphone8
以上二点
起動時間およそ5秒のラップトップちゃんを意味もなく触り
今日は抹茶キャラメルとピュレグミを買った
どれだけ文明に乗っかったところで
部屋の蜜柑にカビは生えるし
顔にニキビはできるし小じわも消えない
27歳なのであるよ
私はもう
そりゃ目も落ち窪むし
ロングヘアが似合わなくなってくるよな
土曜日は初めて13日の金曜日を見た
初めて見るのにリメイク版で
あまり面白くなかった
ああ、またおっぱいか、という感じ
最近一番面白かった映画は
「寝ても覚めても」に違いない
いろんなことを考えたわけである
要するに、
寝ても東出昌大
起きても東出昌大
そういうわけである
私はいつも寝ているので
常に好きな人のことばかりである
起きたら、誰もいないという現状
そのまま一生寝ているつもりか?
といろんな人に言われる
そんな私の心の友は、
角田光代先生の「愛がなんだ」の主人公、
山田さんである
山田さんだけが、私の気持ちを分かってくれる
愛は綺麗ごとじゃない、
などと大声を出す人がいる
私なぞはそれを、
実に醜いな、などと思いながら
相槌を打つわけである
愛がきれいごとじゃなかったら、
世の中に綺麗なものなんかないだろう
愛しあう、ということはよくわからないけれど
一方的に自己犠牲的にでも誰かを強く愛す気持ちだけは
綺麗ごとにさせてくれよ
どれだけ醜かろうが臭かろうが
美しいことにしておいてほしい
人の気持ちなどもう何年も前から信用していないので
自分の気持ちだけを頼りに生きているところがある
自分のことを好きになってくれる人が万が一いたとしても
私にそれはわかりっこないし理解もできない
私が信じられるのは、
私があなたを好きだ、というその無垢な感情
それのみだ
どこをどう間違ったらそうなったのか
と親は嘆いていたけれど
最近は嘆くのをやめて笑っている
申し訳ない
あなたは
愛する人に、何をしてあげられるのだろうか
わたしは
どれだけ想っても、何もしてあげることがなくて
途方に暮れている
わたしは
たくさんのものを彼からもらっている
と思っている
物理的に形に残るものは
何一つもらったことがない
(彼が部屋に残していったペットボトルを
後生大事に保管していたので、
それをもらったと言えるのなら話は別)
わたしたちの誕生日から
ちょうど一か月後の日
彼が急に会いに来た
遅れてきた誕生日だ!と
はしゃげば可愛かったかしら
と思いながらもう一か月近く経つ
わたしたちは付き合っているのか
そうでないのか
付き合っているとはそもそもどういうことだったか
わたしにはもうわからないというところまで
事態は深刻化している
<わたしの望み3つ>
↓
①両親が死んだのち、私が入院などする際にサインをしに来てくれる人が欲しい
②一緒にはできれば住みたくない
③好きな人の子供が欲しい
現段階、以上三点であることを
2018年12月17日、明確にしておく
私にとって
好きな人は生きるアートだ
次にこの人が何をするんだろうとか
そういうことをつぶさに見ていたい
結婚や妊娠で
彼の思い描く人生の方向性を強制的に変えたくはないのである
図らずもわたしは彼の人生に参加してしまったけれど
なんだか妙な感じである
参加型の制作を彼は認めるんだろうか
結婚こそが幸せだ
一緒にいさえすれば好きになる
真剣に訴える人と知り合った
惹かれるものが何もなさ過ぎて
怖かった
愛がないとだめなのである
怖いくらい愛されれば
わたしは何か変わるだろうか
もし彼が、わたしを死ぬほど愛したら
わたしは彼に飽きるだろうか
ねえ
どうだろう
親以外から愛されたと思ったことないから
わかんないな
今日も好きな人が好きな一日でしかなかった
わたしは死ぬとき何を後悔するだろう
病床で、彼に会いに来てと懇願する手紙を書くだろうか
宛先もわからないけれど
愛しているのである